お昼に台所に下りていくと、ボイラー室の屋根でネズミが死んでいる、と母が言う。洗濯物を干しにベランダに出た時に気づいたのだという。行ってみると、たしかにネズミのようにみえたが距離が離れているのではっきりしなかった。
最近は、うちの屋根裏を走るネズミはいないから、だれかが嫌がらせで置いたに違いない、と母はいうのである。みじめなふりをしないから、とか悔しい顔をしないから、とかいろいろいうのだが、終戦直後に店が立ち行かなくなった酒乱の祖父の時代ならともかく、ここ数十年にわたっては、特に他人がいじめたくなるような貧乏人でもなければ、妬まれるような金持ちでもない、いたって普通の勤め人一家であったのだから、なにかするとしたら、よほど昔からの恨みを抱えている人間のしわざだろう、とわたしは思った。
だが、唯一思い当たる南側の隣家の主人は、ボケてしまっていて、犬猿の仲だったはずのうちの母をみても「どちらさんですか」と真顔で聞く始末なのだから、まずありえない。北側の隣家の主人もそんなことをするタイプにはみえない。西側の隣家の主人には、庭師を紹介してもらったばかりである。それになにより、どこからネズミを捕まえて来るのか、という問題があって、嫌がらせをしようにも、ふつうはネズミが捕まらないのではないだろうか。たまたま捕まえたのだとしても、それをわざわざうちの裏庭のボイラー室の屋根に置くというのは相当手が込んでいる。いやがらせなら、普通は、玄関の前とか、通路とか、眼につきやすいところに置くのではないだろうか。本当に嫌がらせなのであれば。
だから、そうではなくて、わたしは「猫じゃないの?」と言い、あとから考えるとカラスの線もありそうだ、と思ったが、母にはそれは言わなかった。母はカラスは死の使いと信じているので、まだ隣人の嫌がらせの方がマシだと思ったのである。ふたたびベランダに行って、写真にも撮ったが、本当にネズミの死骸なのかもよくわからない。もしかしたら、枯れ葉と枯れ枝でたまたまそんな風に見えているだけのようにも思えた。わざわざ片づけるのは面倒だし、そのまま放っておこうかとも思った。母は「ガイコツになるのかしら」と言って笑っている。
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翌日の朝食のときに、「ネズミの死骸を明日片付ける」と母は宣言した。わたしは、なぜか身体がだるくて、熱はないが風邪をひいたのだと感じた。2時間ほど横になっている間に母は、次男の家に出掛けた。孫の世話を頼まれていたからである。
だるいのは夜中に起こされたことがなにか関係しているのだろうか、とわたしは回らない頭でぼんやり考えていた。
昨夜、午後11時ごろ、隣家との境目の電柱にバイクが激突したようで、救急車2台とパトカーが来ている、とわざわざ母が2階に上がってきて知らせてくれたのである。わたしはもう寝ていたので、それを聞いてまたすぐ寝たが、しばらくすると、事情を説明しに母がまた上がってきた。
その後、酒を買ってきたという母がもういちど上がってきて、それでもわたしは起きる気にならずすぐに寝てしまった。たぶん熱があったからだと思うが、よくわからない。
朝になって母から聞いた話では、救急車には老人がひとり座っていた。特にけがをした様子はなかった。そばにバイクが転がっていた。母が、酒を購入して戻ってきたとき、その場にいた警官に、酒を撒きたいというと、「お酒を撒いてお清めしたいんですね。お気持ちは察しますが、わたしたちが去ってからにしてください」と言われたという。母は、その警官はこういう現場に慣れていてよくわかっているようだった、と言った。
バイク運転手の姿は見えなかったがおそらくもう一台の救急車で運ばれたのだろう、と母は言った。警官に、こんなカーブでもないところ(うちの前の道は100メートル以上直線の舗装道路である)でなんで電柱にぶつかったのか、と聞くと「それをいま調べているところだ」と言われたという。
母の推測では、老人をよけようとしたのではないか、ということだった。まあ、たぶんそうなのであろう。明々白々でも、警官はよけいなことを一般人にはいわないものだ。
というわけで、朝から母は次男の娘のお守りにでかけて、昼はわたしひとりである。あいかわらずからだがだるくて、熱を測ったら6度7分あった。平熱は5度台なので明らかに微熱がある。ということはやはり風邪なのだろう。出かける気にはならないが、かといって自分で作る気にもならず、その辺にあったパンを適当にかじった。最近はスパゲッティを茹でるのも億劫で、もう長いこと作っていない。
ネズミとバイクには何のつながりもないのに、続けて起きるとまるでなにかの陰謀がうごめいているようでもある。母が次男の家に出掛けるのも年に1-2回。わたしの風邪はもっと少ないかもしれない。そのすべてが仕組まれていたのだとしたら? でも実のところ、わたしはその手のものはあまり(というより全く)信じないたちだ。ただ理由は不明だが、偶然というのは重なることが多い気はする(統計学者に言わせれば、それも錯覚で、重なると記憶に残り易いからだと言うだろう)。
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翌日、母が言っていたので、8時少し前にわたしのほうから言い出して、ボイラー室の屋根のネズミの死骸を処分した。喰いちぎられた後はないようだったので、母屋の二階の屋根から転落したのではないかと思ったが、正確な死因は不明だった。
母に言うと、ネズミが屋根から落ちて死ぬなんてありえないと笑われた。確かにそうかもしれない、とわたしは思った。