「カゾクを支える、カイゴを変える」
介護と親と向き合うサイト

桜の枝が折れた話(6)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

桜や他の木の枝がばっさり剪定されたことで良いこともあった。日当たりが良くなったのである。8月だというのに、剪定前の庭は一日中薄暗いままであった。それが、午前中から日が差し始め午後一杯それが続く。庭の照り返しで台所はカーテンを閉めないといられないほどだった。犬が死んだときに作った墓の隣に植えたレモンの木が、ずっと数枚の葉しかつけないでいたのが、日が当たり始めたとたんに葉が生い茂り始めた。

だが一方で、良くないこともあった。鳥がまったく来なくなったのである。毎日、数羽の鳥が入れ替わり立ち代わり来ていたのが、文字通りまったくこなくなってしまった。

わたしはショックから立ち直れずにいた。取り返しのつかないことをしてしまった、という思いにさいなまれていた。なんで庭師があの梯子のてっぺんで折れた枝の剪定をしているときに、目を離してテレワークなんかしてしまったのだろうか。あのまま見ていれば、あるいは母に告げていれば、ここまでの事態は防げたであろう、と思うといてもたってもいられなくなった。

追い打ちをかけるように、『桜が折れた話』の最初の原稿を読んだ知り合いから、自宅の樹齢50年になる桜の自慢話をされた。まだ桜が裸になってしまったことは知らないので、別に自慢というわけではなかったと思うが、思わず「切ったらさっぱりしますよ」というと、その桜の花が咲き誇っている写真を送ってきた。高さが20メートルも近くありそうな巨大な桜の木がうちの桜と同じように狭い庭から天に向かって突き出していた。見事としか言いようがなかった。それをみて、さらにわたしはショックを受け、返信もせずにそれきりやりとりを打ち切った。うちの桜がそんな風になることはもう永遠にないのだと思うと無性に悲しかった。やりきれない思いで胸が苦しくなるような感じだった。

なにか楽しいことでも考えようと思ったが、そんなときに限って、なにも楽しいことを思い出せなかった。しばらくの間、40年前の欧州旅行のことを書いていて、いろいろ思い出せるのが楽しかったことを思い出し、その続きを書いてみようとも思ったが、あまりうまくいかなかった。旅は終わってしまっていて、もうなにも楽しいことは残されていないような気がした。

だが、しばらく考えているうちに、もう一度ドーバー海峡をフェリーでわたり、長年の懸案だったフィッシュアンドチップスを食べた、あの旅行の話が済んでいなかったことを思い出した。どうでもいい話ではあった。でもそれをいえば、すべてがどうでもいい話なのである。それで少しでも気分が晴れるならいいかもしれない、とわたしは思った。

よくわからないまま、なんだかツボにはまってしまっている自分がそこにいた。二度目のワクチンを打った直後だったせいもあるかもしれない。なによりも日本国内では、これまでで最大の新規感染者が連日記録を更新しているさなかであった。

とりあえず、桜の憂鬱を少しでも忘れさせてくれるならなんでもいいと思い、二十年前の記憶をたどり始めたのだった。

桜の枝が折れた話(6)|ながさごだいすけ|note

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

ご相談はこちらから