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電車でマスクしないオジサン(3)

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最近は車内のアナウンスも徹底してきて、マスクをしない人は、まず見なくなった。それで特に気にすることもなくなっていたのが失敗だった(と思う)。

目が合った瞬間、何か違和感を感じたのだか、それが何か分からなかった。ただ、嫌にこちらを見るなと思っただけである。日本人なら普通は電車に乗って来たひとからは目をそらすので、一瞬東南アジアの人なのかと思ったくらいだった。そう思うと顔つきもそんな感じに見えた。

電車はちょうど席が埋まるかどうかという混み具合で、先に乗った人や隣のドアから乗った人に、さっさと少し離れた余裕のある席は取られてしまっていた。こんなときにいつも遅れをとるからろくな目にあわないのかもしれないが、目が合った東南アジア風の彼の横か、向かいの席しかなかった。彼はブルーのジャージにブルーのスタジャンというかなりラフな格好だった。これから職場に向かうようには全く見えず、朝まで飲み明かして始発電車で帰る大学生か遊び人というのがいちばんありそうに思えた。ありがちに席からはみ出しぎみに座っていて、人を寄せ付けない感じだったことも、その推測の正しさを裏付けているように思えた。

さらにその推測を裏打ちするように思えたのは、彼のとなりでシートの隅にもたれるようにして眠っている女性の存在だった。大きく張り出した胸に大きな「GAP」という白い文字が入った、ショッキングピンクのトレーナーを着て、首のところからは黄色のTシャツがみえていた。マスクをしているので顔はわからなかったが、たいして長くない髪を頭頂部でまとめていた。

お団子ヘア? というよりむしろ、幕末の浪人みたいに無造作に髪をただゴムで縛ってあるだけのようにみえた。いまどき大人の女性がこんな髪型で外出するだろうか? 部屋着のままで、買い忘れた卵を1階のコンビニに買い物に来たマンションの住人みたいだと思った。

一瞬、本当に東南アジアから働きに来ているお兄さんなのかと思ったが、それにしては、トレーナーの胸のふくらみが異常に大きかった。左右にふたつ垂れ下がっているようにみえるそれは、あまりにも大きくて日本人離れしていた。が、よく見ると、それはどうやら、トレーナーの下で腕を組んで肘が突き出ているだけのようでもあった。いくらなんでも、電車の中で、トレーナーの下で腕を組んで眠る女性がいるだろうか? だが、男にしてはショッキングピンクのトレーナーとお団子ヘアはあまりにも違和感があり、マスクをかけていなければ女性かどうかすぐにわかるのに、と思った瞬間、隣の東南アジア風の若者はマスクをかけていないことに気がついた。

なんということだろう。またしてもマスクをかけていないオジサン(いやオニイサンか)の前に座ってしまったのだ。さきほど乗り込むときにみんながそそくさと離れた席に急いだ理由がようやくわかったが、もう後の祭りである。車内でマスク着用のアナウンスをするようになって久しく、まったく警戒していなかったので、違和感はあったのに気持ちがスルーしてしまったのだが、それ以上に、隣で足を組んで寝ている性別不明の連れ合いの存在に注意をそらされてしまった。スリがよく使う手だな、などとどうでもいいことに感心しながら、依然としてなぞは解けないまま時間は過ぎて行った。

連れ合いは、たぶん男であり、ふたりで朝帰りなのか、飲んでそのまま出勤あるいは通学なのか、詳しいことはわからないが、黒か紺のスーツ姿ばかりの始発電車の中で、ピンクとブルーのその二人だけが異彩を放つ存在であることだけは、誰の目にも一目瞭然だった。

次の駅に着いて、さらに人が乗り込んでくると、ドア付近に立つ人が増えて来た。ショッキングピンクのお兄さんは、座席の隅で相変わらずトーレーナーのなかで腕組みをして足を組んだまま眠り込んでいて、他人のことなどどうでもいいといった感じ。どうやらショッキングピンクのお兄さんが兄貴分で、東南アジア風の彼が弟分なのだろう。マスクをしていないのは、彼のマスクを兄貴が取ってしまったとか、兄貴はケチだから弟に自分のマスクを分けたりしないとか、そんなところなのではないだろうか。

弟分の彼は、マスクをしていない自分が注目されていることに気付いているはずだが、そんなそぶりはみせずに、隣で足を組んでいる兄貴に、しきりに耳打ちしている。どうやら混んで来たので足を組むのは止めた方が良いと言っているようだ。兄貴は全く聞く耳持たない。しびれをきらして脇腹をつついたりしているので、杯かわした兄弟分というわけではなく、やはり大学生の朝帰りなのだろうが、とにかく兄貴のほうはひたすら眠いらしくて、起きてはいるようだが目は開けず、ほとんどリアクションもせずに、ときおり首をけだるそうに振るだけだ。

それをみているこちらとしては、足なんてたいした問題じゃないんだよ、と言ってやりたくてたまらない。どうしてみんな言ってやらないんだろう。足がどんなに投げ出されたってコロナにはならないんだって。そんなことより、きみがささやくその息の中にコロナさんがいるかもしれないんだよ。だからさっさと黙っていてくれたまえよ。もちろん、わたしも言えないし、他の誰も言えないのである。派手な恰好やその振る舞いから、彼らがまだ東南アジア人かその稼業の人である可能性を否定できないので、何か言ったらとんでもないことにならないとは保障できないからである。

それにしても、駅の売店は開いてなくても、コンビニはいくらでもあったはずだし、なによりも相方はマスクをしているのである。なんでマスクくらい買わないかなあ、となにより、その相方は思わなかったのだろうか? まさかお金がないなんてことはないだろうに。

それとも、彼もまた新型コロナウイルスの悲しい犠牲者のひとりだというのだろうか?

※こちらの記事は、2020年11月2日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。
https://note.com/carenavi/n/ne2d03662ed5e

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