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傷ついた翼(1)

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5月初めの木曜日にひさしぶりにコーラス会があるというので、母の不安レベルは、数日前から明らかに上昇していた。前日には、二階のわたしの部屋の本の重みで天井が抜けて、階下のコタツで温まっている自分が押し潰される不安にさいなまれていたらしいことは既に書いたとおりである。

それでもコーラス会には出かけてゆき、いつも通りにメンバーと昼食を摂って帰ってきたのだったが、どうも様子がおかしかった。昼食の焼きそばが原因ではないかという。聞くと、あまり食欲がなかったが、コーラス会の後にしばしば行く有名な中華料理のチェーン店にさそわれて、メンバー三人で行ったのだという。ランチメニューの選択肢はあまりないので、他の二人と同じ焼きそばを注文したが、コーラスで声を張り上げて疲れたせいなのか、あまり食が進まない。二人がおいしそうにペロッと平らげたので、母も無理して全部食べたという。

久しぶりだから、スイーツも食べましょう、とひとりが言い出した。母はもちろん、食欲はなく、もう帰りたかったのだが、もうひとりもすごく乗り気で、結局アイスクリームを注文した。母も付き合わないわけにいかなかったという。ちなみに、三人とも八十代後半の老婦人である。他の二人がアイスもおいしそうに食べるので、母も無理して食べたという。おいしいとは思わなかったそうだが、だったら食べなきゃいいのに。そもそも頼まなければ良さそうなものであるのだが。

食後にウエイトレスがやってきて、ちまきのお土産はいかがですか、というので母は4つ、別のひとりは3つ注文した。なぜか、年寄り三人のテーブルに目を付けたようで、他の若い人のテーブルには近寄ろうとしないのを、すこしおかしいと、この時感じたと母は証言している。

会計でその理由はすぐわかった。ちまきはひとつ千円で、4つも頼んだ母はお土産だけで4千円も払うことになった。焼きそばとアイスは別である。明らかに、小金のありそうだが警戒心の薄い年寄りを狙い撃ちしたのだ、と母は憤っていた。

帰ってきたのは四時過ぎだった。ひどく疲れたようすだったが、最近はめったに出歩かないので久しぶりにコーラス会に行った日はたいていそんな感じだから、わたしはいつものことだと、あまり気にも留めていなかったのだが、明らかにようすが変で、やつれ方が尋常ではない。さすがに、聞いてみたほうがいいのだろうか、と不安に思い始めていると、母が夕飯は勝手に食べてね、と言い出して、「わたしはビール飲んで寝るから」とさっさとビールを飲み始めた。聞かないうちから、コーラス会の後で行ったランチの話をして、それもあっさり終わらせると、すみやかに寝室に籠ってしまったので、わたしはさらに不安にはなったものの、これがはじめてというわけではないし、コーラス会の後は最近いつもこんなだったのではないか、と思いながら、ひとりでTVを見ていたのだった。

そのまま一時間くらい過ぎただろうか。母が、がさごそと寝室で動き始め、起きてトイレに行った。これはいつものことで、ビールを飲んで寝るのでトイレが近くなり、それでなくても夜は二時間おきくらいに起きるのである。寝巻に着替えた母は決してわたしの前には現れない(ようにしている)ので、わたしはTVを観ながら、母ががさごそしているな、と漠然と考えていたが、特に声をかけることもなく、そのうち母も寝静まったので、わたしも二階の寝室兼仕事部屋に引き上げて寝た。

翌朝いつものように、わたしが5時半ごろに起きていくと、いつもは既に朝食の準備をしている母がまだ起きていない。そんなに調子が悪かったのか、とわたしはかなり不安になったが、母は自分の弱みを他人に晒すのが嫌いなので、母がなにもいわないときは放っておくしかない。疲れた翌朝、起きてこないことも、めったにないとはいえ、ときどきはあることだったから、わたしは母が自分から起きてくるのを待つことにした。

結局、9時ごろになって母は起きてきたので、わたしは少し安心したが、母は依然として辛そうであった。さすがに心配になって「どうしたのか」と聞くと、どうも体調が悪く、昨日は休んだ直後に気持ちが悪くなり、嘔吐して下痢をしたのだ、と言った。昨晩、寝室でがさごそしていたのは、つまりそういうことだったわけである。わたしは、瞬間的に、(お腹が持たれているのに無理してビールを飲んだせいじゃないか)と思ったがもちろんそんなことは言えない。母は、気分が悪いのでビールを飲めばぐっすり眠れると考えて実行したと言っているからである。胃腸がおかしいのに飲食で気持ちよくなるわけないじゃないか。一言相談してくれれば、わたしはもちろん絶対に飲むなと答えたはずだが、そういうときの母は、返事がうすうすわかっているから息子に聞いたりはしないのだ。こうなるともうどちらが子供かわからない。

それが金曜日の朝だった。弟夫婦が、毎年母の日前後に娘たちを連れてくるので、今年は次の日曜日に来たいというメールが奥さんから来たが、母は、さすがにこの体調では無理だと判断したらしく、私が知る限り一度も断ったことがない弟一家の来訪を断ったのだった。こんなことは前代未聞であり、絶対に断られないつもりの奥さんからは、再度要望のメールが来たくらいだった。でも今回に限っては、母の決意は翻らなかった。最近毎週土曜に来ている妹の来訪も断り、実家は久しぶりに静かな週末を迎えたのだが、肝心の母はというと、土曜日の昼にはもうすっかり回復しており、食事ができないわけでも早く就寝するわけでもなく、いたって普通の日常が繰り広げられた。

翌週の土曜日に来た妹は、母の話を聞いて、焼きそばによるアレルギーではないか、とさかんに主張していたが、もちろん本当のところは不明なままである。今まで一度もアレルギーが出たことがない85歳の女性が、突然アレルギーになるとしたら、いったいどんなものを食べたのか、まったく見当がつかない。焼きそばに入っていてアレルゲンになりそうなものといえば、やはり魚介類ということになるだろうか。わたしは、精神的なストレスがたぶんに影響しているのではないかと疑っているが、現役薬剤師の妹の見立てに反論すると母がうるさいので、黙って聞いていた。

とりあえず、一過性のものだったようなので、一安心ではあるのだった。

傷ついた翼(1)|ながさごだいすけ|note

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