それは寒い朝だった。わたしは他の園児と共にバスを降りて幼稚園に向かった。樹木の多い園庭は、園児にとっては迷路のような不思議な世界である。門から玄関まで石畳が敷かれているが、寒い冬の朝は、むき出しの地面に霜柱が立っていて、それを我先に踏んでいくのが日課になっていた。その日もそんな風に、石畳からはみ出しながら、あっちへふらふら、こっちへふらふらとさまよい歩いているうちに、ふと池に氷が張っているのに気づいたのである。大人がいたら、すぐさま注意して近寄らせないようにするところだが、バス通学にも慣れた冬のその時期に保護者はだれも乗っていなかった。先生たちも、わざわざ門まで迎えに来たりはしない。ひょっとしたらいたのかもしれないが、とっくに校舎に戻ってしまっていた。
わたしは、別に先生や保護者がいないかどうかを気にしたりはしていなかった。そこはたかだか5歳のガキである。そんなことはどうでもよく、目下わたしの関心は目の前の池の氷にくぎ付けになっていた。霜柱を踏むのに一生懸命になるような子供が、氷の張っている池を目にしたら、やることは決まっていた。わたしは、池に近づいていった。氷が浮いているというような状態でなくて、一面に張っており、まるでスケートリンクのように見えたのである。池の端に水道の蛇口が1メートルほどの高さにつきでていたので、わたしはその蛇口に左手をかけて、バランスをとりながら右足を氷の上に載せた、はずだったが、次の瞬間氷が割れて、わたしは池の中に頭から転落した。
氷が張っているのだからもちろん池の水は零度近かったはずであるが、真冬のことで厚いオーバーを着ていたから、すぐに体が凍えるわけではなかった。池の水深はそれほどなく、たぶん胸のあたりまでだったと思う。すぐに自力で立ち上がって池の淵に這い上がったと思う。実は、今のわたしが覚えているのは池の中に転落した瞬間、池の中から水面を通じて空の光が見えたことだけなのである。なぜか、池に近寄っていく自分を近くから眺めている記憶があるのだが、幽体離脱したわけじゃあるまいし、これは後付けの捏造された記憶だと思う。ただ、池から自力で出たことは多分間違いない、と思うのだが、池の中の記憶の次の記憶は、校長室の石炭ストーブの横で毛布に包まって、母もそこにいる、というもので、どう考えてもその間には30分以上が経過している(家から幼稚園まではどんなに急いでも30分はかかる)のだから、あてにならないことおびただしい。まあ、溺れかけたりしなかったことだけは確かである。母が言うには、母が血相を変えて幼稚園にたどり着いたとき、わたしはケロッとして、先生方と楽しそうに談笑していたというのだから。