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小鳥の巣・再び

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春になって夜明けが早まってきたので、再び早朝の散歩を始めた。五月になってからは、昨年と同じH川沿いの約1時間半のコースを歩くようになった。小鳥の巣があった(と錯覚した)川沿いである。

冬の間、まったく散歩をしなかったのが祟って、体重は生まれて以来の記録を更新中であり、さすがにヤバいと思い始めた。だが、昨年は、それまで毎日通勤していたところに、テレワークでひと月歩かなくなっただけだったので、再び毎日1万歩以上歩いてもまったく苦にならなかったけれども、今回は冬の間6カ月もの長期にわたって1日の歩数が1,000歩に満たない生活(といっても週2日は通勤していたので多少の運動はしていた)を続けていたせいで、とても最初から1万歩を目指せるようなコンディションではなかった。予想以上に足腰の衰えを感じた。

それで、母が毎朝歩くコースが3千歩だというので、そのあたりから初めてみようと思った。それが三月の終わりだったと思う。それ以前から、重い腰を上げるために、なにかきっかけがほしいと考えていたのだが、春分の日は、外に出始めるにはちょうどいいきっかけのように思えた。ただ、正確に三月二〇日から始めることはできなかった。まだ寒くて、なかなか踏ん切りがつなかったからである。

昨年、散歩を止める直接のきっかけが、母がわたしを探しに川向うへ出かけた事件だったこともあり、三月のまだ夜明けが遅い時期に、四時過ぎに家を出ることはためらわれたので、最初は五時半ごろから始めたが、それでもあたりはまだ暗く、母から、街灯のあるところだけを歩けと言われて、素直にそれに従うことにした。

そうなると小さな町のことで、街灯がある道は限られてくる。それでも、実家は町の中心部にある十字路のそばだから、理論上は4つの方向が可能ではあるのだったが、結局母が歩いている散歩道以外には安全な道はありえないという結論に達するのに時間はかからなかった。

少年時代を地元でずっと過ごしているので、いくら引き籠り勝ちだったとはいえ、町のおおよその道についての見当はついている。小さな町だから、どちらに向かっても商店街が続いているということもないし、そもそも4方向のどちらに行っても、10分もしないうちに町を外れてしまうのである。一応街灯は続いているが、町を外れると街灯は途端に暗くなる。それに街道をただ歩いて行って、引き返してくるというのでは芸がない。やはりぐるっと回って来られて、そのすべてに街灯があるところがベストということになるだろう。

というわけで、そういう経路はほぼひとつかふたつしか思いつかなかった。どちらも母が散歩しているという経路と半分以上重なっていた。それ以外に明るくて安全な散歩道は思いつけなかった。

それでしばらく母が歩いているのと同じようなコースを歩いていたが、日の出も早まり、昨年歩き始めたのと同じ五月になったので、思い切ってまたH川沿いを歩くようになった。はじめの二、三日は、母に言わないようにしていたのだが、ためしに川にいる鳥の話などをしてみると、特に気にした様子もなかったので、安心した。ただ、一方では、認知症によるアパシー(無関心)の兆候なのではないかとも思えて、少し心配ではあるのだった。

ちなみに、小鳥の巣だとわたしが思った場所は、一年たってまた雑草が生い茂り、多くの花が咲いているのだが、小鳥の姿はまったくない。周囲の川と空には多くの小鳥が飛び交っているのだが、まったく近寄ってこようとしない。昨年あんなに戯れていたあの鳥たちは、いったいなんだったのだろう。それとも、ほんとうに単なる偶然で、たまたまそのとき、わたしの目の前を数羽が行き来していたに過ぎないのだろうか。鳥が話せるなら一度聞いてみたいものだが、小鳥はなんにも答えてくれないのだった。

そういえば母が、思わず小鳥に話しかけてしまうが、自分はおかしいのだろうか、と妹に聞いたことがあった。脳外科病院に勤務する現役薬剤師の妹の答えは、「小鳥に話しかけるのは正常だが、小鳥が話しかけてくるようになったら気を付けたほうがいい」というものだった。母は妹の冗談が分からなかったらしく、空耳のことだと受け取ったようすだった。

小鳥の巣・再び|ながさごだいすけ|note

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