母は、九月に再開して、十月からは月二回開催することになったコーラス会に、愚痴をこぼしつつもそれなりに楽しそうである。ただ、本心はどうかということになると、わたしにはわからないと言うほかない。このことに限らず、母の本心なんて、物心ついて以来、一度もわかったためしがない。
もっとも、子供の時はわからなかったが、もうどうでもよくなった大人になってから、初めてわかったことがないわけでもない。たとえば、小学生の頃、友達から両親の夫婦喧嘩の話をたびたび聞かされ、うちの両親は仲が良いから夫婦喧嘩なんてないのだと心底信じ切っていたのだが、大人になって分かったのは、うちの両親も普通の夫婦であり、ただ子供の前では喧嘩をしない、という夫婦の約束を忠実に守っていたに過ぎなかったこと、であるとか。
他にもあったように思うが、この件に関しては、わざわざ友達に自慢までした記憶があるので、今でも覚えているのだろう。本心から、仲の良い夫婦だと信じていたので、わたしが高校生から大学生のころに、なりふりかまわず夫婦喧嘩をはじめたときのショックは大きかったし、それ以上に、友達に天真爛漫に自慢した自分がモーレツに恥ずかしかったのである。
世の中にはいつまでも仲の良い絵に描いたような夫婦がまったくいないわけではないだろうが、今のわたしは、そういう夫婦はあっても極めて少数だと思う。申し訳ないがバイデン夫婦の仲睦まじさなど、まったく信用できない。絶対どちらかが妥協しているはずだと思う。
それはともかく、父が亡くなってすでにまる7年が過ぎ、母は母校の同窓生で作るコーラス会が、最近では唯一の他人との交流の場であるようにみえるので、ぜひとも続けてほしいとわたしは思っているのだが、母の考えは違うようでもあり、違わないようでもある。
何十年たっても、息子には母の本心は計り知れないものなのだった。
※こちらの記事は、2020年11月16日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。
https://note.com/carenavi/n/n9fc6005dfe3a