父は大腸がんで亡くなったが、入院したのは1週間だけだった。4 月に発見されてから 7 月中旬まで家にいたのだが、それもずっと寝たきりだったというわけではない。もっとも起きているのがやっとで、一日中 TV を観るかぼんやりしていたらしい。わたしが帰っても、以前のようには会話らしい会話もしなくなっていた。
入院したのは、父が自分からもうだめだと言い出したからだったと聞いた記憶があるが、わたしが翌日病院に見舞いに行ったときは、やあ、とか、良く来てくれた、と言ったきり、向こうを向いてしまい、少ししてわたしたちが見守っているのに気付くと、思い出したように「ばいばい」と手を振ったので、いささか拍子抜けして帰ってきた。医師は二ヶ月くらいが峠だろうと言っていた。
ところが翌週水曜の午後二時過ぎに母から携帯に電話があり、「すぐ病院に来て」と言われた。切羽詰まった感じが電話の向こうで感じられたので、これは本当にやばいのだな、と思って仕事を中断してその足で駆け付けた。仕事場から病院まで二時間半くらいだったが、父はもう亡くなっていた。昼食を食べた後、容態が急変して、母がひとりで最後を看取ったという。
父の「ばいばい」に拍子抜けしてなんとなく余裕ができてしまい、そのつもりでその週末舞いにいかなかったことは今でも悔いが残る。週末代わりに妹夫婦が娘を連れて見舞ったとき、父は妹の旦那に「あとをよろしく頼む」と言い、それが家族への遺言になってしまったのである。
わたしは、きちんとお別れを言うことができなかったと思った。もうこの二年ばかり、がんが分かる前から父は明らかにすこしボケ始めていたのだが、それにしても「ばいばい」はないだろう、と思ったのである。
だが、よく考えてみると、「ばいばい」は立派な別れの言葉ではないか。父は昔からずっと父親らしく振る舞うのが恥ずかしかったようで、「おとうさん」と呼ばれることさえ嫌ってパパと呼ばせていたくらいだから、ひょっとしたらあれは父の精一杯の照れ隠しだったのかもしれないと、いまさらながらに気が付いた。そういえば、わたしがまだ小学生の頃、我が家のお休みの言葉は、父の「Good night」だったのだ。お休みというのが気恥ずかしくて、毎晩、父は「ぐんない」と言っては手を振って去っていくのだった
「ばいばい」もそういうことだったのだろうか。
入院して初めて昼食をおいしいといって完食したと、後で看護師さんが母に言ったそうだ。母は最後にきちんと食事ができてよかったと言ったが、横で聞いていた口腔外科でがん患者を毎日診ている弟は、急に食事を摂ると代謝が活性化して急変することがよくあるのだ、とにべもなく言った。
父の最後が、母の教訓になったのか手本になったのか、わたしにはよくわからない。そもそも父がどれくらいボケていたのか、どこまで終活を意識していたのかもわからない。入院当初は手術で治す気まんまんだったのだし。最後まで父のことはよくわからない。