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ひとりきりのペペロンチーノ(2)

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スパゲッティは、わたしが唯一まともに作れる料理である。一人暮らしをしていたこともあるので、生活に困らない程度には料理を作るが、正直な話、それは料理というより食材をただ煮たり焼いたり炒めたり、あるいはただ皿の上に出してなにかをかけただけのものであった。食べてしまえばみな同じで、もちろん美味しくも何ともない。自分ですらそう思うのだから他人には食べられるようなしろものではないだろうと思う。

むかしから料理には殆ど興味がなかった。

三十年くらい前、まだ独身で実家にいた頃、両親が出かけて、わたしが自分と弟の夕食を作ることになった(妹はもう結婚していた)。もちろん料理なんて作れるはずがない。でもスパゲッティを茹でるくらいなら誰にでもできる。お湯を沸かして塩を入れ、そこにパスタを入れて、決まった時間茹でればいいだけだ。別に特別な技術は必要ない。

なんの問題もなく茹で上がったスパゲッティをざるにあけ水を切って皿に盛り付け、粉チーズをかけて食卓に置いた。

待たされていらいらしていた弟が、さっそくフォークに絡めて口に運んだ。ところが、二口、三口、口を動かしたのが止まり、いきなり

「こんなもの食えるか!」と弟は吐き捨てるようにいって、二階に上がってしまった。

なにを怒っているのか、とわたしは憮然としながらフォークにからめたパスタを口に入れた瞬間、あまりの塩辛さに吐き出した。

スパゲッティを茹でるときの塩加減というものがまったくわかっていなかったのである。

たしかにそんな時代もあったのは事実である。

だがそれから、一人暮らしもしたし、結婚もした(まだ続いている、いちおう)ので、料理をする機会は増え、特にスパゲッティは、もともと好きだったこともあり、料理番組や料理本を見ながらまじめに修行した結果、唯一まともに他人にも食べてもらえるものが作れるようになった。

実家に通い始めた当初、わたしがそうやって母の留守中にひとりでスパゲッティを作っているのを知った母は、自分にも作ってくれと言い出し、その後妹夫婦にもふるまった。他人から作った料理がおいしいとほめられたのはスパゲッティ以外にはない。

もっとも、味付けがいいかげんなことは昔も今もあまり変わっていないので、作るたびに味が違い、自分でもおいしいと思えることもあれば、まるでダメ男なときもある。あるとき母に作った茄子とトマトのパスタが、文字通りゼッピンだったので、翌週も連続で作ってくれといわれた。だが、結果は予想通り、いつもの不味くはないがゼッピンとは言いかねるできあがりだった。

「ふつうね」と母は言った。

「そうだね、ふつうだね」とわたしは答えた。

特に凝った香辛料とかを入れているわけでも、凝った食材を使っているわけでもないので、微妙なさじ加減の問題ということになる。その微妙なものをいつも再現するのが技術というものだろうか。むかし読んだ佐藤正午のエッセイに、ゼッピンのペペロンチーノを作る話があった。それはシンプルだが極上のペペロンチーノであり、オリーブ油とニンニクと唐辛子に、あとは塩しか使わず、それでもすこぶる美味であるという。食材が問題ではなく、やはり技術なのだと確か書いてあったように思う。

いつも同じ味で作れるプロの料理人をわたしは心から尊敬する。でも、わたしは毎回味の違うペペロンチーノをむしろ楽しみにしているのである。残念ながら、うまくできたと思ったことは一度もないが、それ以上を追究する根気はむかしからなかった。母の料理も毎回味が違う。遺伝というわけではないが、なにかを受けついでいる気がする。受け継がなくていいものであるのは確かなのだが。

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