『放浪記』が、予想外に面白かったことから、ネットでの評価が気になって少し検索してみると、『放浪記』にはさまざまな版が存在することがわかった。しかも、雑誌掲載時、ベストセラーになった改造社版、現在の標準になっている新潮社版には、章の入れ替えや文章の徹底的な推敲など、かなり大きな違いが存在するようであった。
もともと『放浪記』を読もうと思った動機が、過去に評判になった旅行記を調べることにあったのだから、実際に評判になった版をみなければ意味がない、と思った。そこでさらに調べていくと、復元版(復刻版ではなく)と銘打ち、誤字脱字誤植だけでなく、検閲で伏字にされた文言まで可能な限り復元した版が存在することが判明した。正字旧かなで、パラルビ(改造社版は総ルビ)とはいえほとんどの漢字にフリガナがふられている、かなり魅力的な仕上がりの本のようで、本好きのわたしはかなり食指をそそられた。だが、それは定価が四千円以上もした。本質的にはなにも違わない本に四千円は高すぎるような気がした。
それで、もう少し探してみると、『森まゆみと読む 林芙美子 「放浪記」』という文庫本を発見した。こちらは、改造社版の第一部の復刻版ということだった。これならそれほど高くないと思ったが、それにしても、今読み終わったばかりの本を買い直したって、もう一度全部読むわけもない。実際、書店に行って確認してみたが、なにが違うのかまったくわからなかった。これではわざわざ買う意味はないと思った。あとがきに試みと断って、改造社版の原稿の校正刷りに書き入れをして新潮社版にしてみた、という図が載っており、それを見ると確かに全然違うということはわかったが、基本的には同じものでモンテーニュのように大きな追加があちこちに存在するという類のものではないようだった。この校正刷りを見て、一番驚いたのは、「なり」という特徴的な語尾が、改造社版にはないらしいことだった。後からの書き足しだったのである(校正刷りの部分だけだったのかもしれないが)。それ以外にも、全体的に見て、文章は新潮社版の方が明らかに良くなっていた。まあ、当然のことだろう。
今回の目的からすれば、それがわかっただけで十分な気がした。森まゆみの本も、今のところ購入の予定はない。