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電車でマスクしないオジ(ョ)サン(5)

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そうはいいながらも、11月になって、いよいよ第3波到来か、という今、駅や車内でマスクをしていない人は、ほんとうにほとんど見かけなくなった。かわりに、最近みかけるようになったのはマスクを顎にかけて、飲食をしている人である。

実はこの1週間の間に3人見かけた。会社に行った日が3日で、すべての日の出勤途中の車内で見かけたのである。しかもそのうち2回は、わたしの隣に座った人でパンを齧っていた。これは被害妄想ではなく絶対に何かあると思う。たとえば、食べ物や飲み物がかかっても問題にならないくらい安物の服を着ているが、隣で飲食するのがはばかられるほどには汚い格好でない、とか。知らんけど。

ほとんど始発の時間帯で、車内が空いているということもあるのだろうが、以前には新型コロナが始まる前から考えても、だれかが何かを食べているところなんてほとんど見た記憶がないのである。

いや、きっと違うだろうな。いままでにも、そんな人はいくらでもいたに違いない。始発電車というのは、朝帰りの酔っ払い組か、海外旅行の大きなトランク組か、でなければ朝食組と相場が決まっている、って、そんなわけないか。でもそれなりの距離を走る列車とかではないので、そんなに飲み食いするヒトをしょっちゅう見かけた記憶はない。ただ、何かを飲んでいる人はコロナの前にはけっこういた。

特に記憶に残っているのは、朝帰りの酔っ払いが酔い覚ましにブラックの缶コーヒーを飲んでいるところか、夕方以降にサラリーマンが缶ビールや缶チューハイをもって良い調子で舟を漕いでいる姿。極々まれに、これは一、二度しかみたことがないが、始発電車で缶チューハイのオジサンを見たことがある。さすがにこれはダメ(電車のマナーではなくて、人生的な意味で)だろうと思った。

新型コロナが流行してからは、そういう光景はほとんどみかけなくなったが、その理由のひとつは、たぶんマスクの着用だと思う。マスクをしないといけないのであれば、飲食はできない。だいいちコロナの蔓延の主戦場が飲み屋ではないかと疑われているのだから、飲み食いはどこにいたって御法度なはずであり、ましてや通勤電車の中でなどもってのほか、と第2波が収まってきた8月9月ごろに、人々は考え、自主規制していた。

ところが、だんだん気が緩んできた。というのは10月にGOTOなんちゃらが盛大に始まっても、特になにも起こらなかった(ようにみえた)からだ。それでだんだんルーズになってきた。

でも、相変わらず車内ではアナウンスがあり、マスクを外すわけにはいかない。

それでは、とだれか頭の良い人は考えた。

何かを飲むときはマスクを外さなくちゃなんないよね? そうなのよ、あたし、スタバでコーヒー買っちゃって、電車来ちゃったから乗っちゃったんだけど、そのままっていうのもあれでしょ? だからしかたないけど、マスクとって飲むしかなかったのよ。

初めて見かけたのが若い女性だったので、おもわずオネエ言葉になってしまったが、ようするにそういうシチュエーションをみずから演出して、自分を納得させながら、どうどうとマスクを外したのではないだろうか。

彼女の本心は推測するしかないが、コーヒーを飲みたいという気持ち以上にマスクをはずしたいほうに重心が移っていただろう、とわたしが思った理由は、マスクをずっとはずしていたことにある。その後出会った2人もそうだった。遠慮しがちに飲食するなら、こまめにマスクをかけるのではないだろうか。少なくとも、正々堂々とマスクを外し続けるとは思えない。

そりゃあね、7人掛けのシートに1人とか、そういう状況なら、特に問題はないと思う。でも彼女の周りはひとつの座席も空いていなかったのだから、見ながら、こりゃあなんか言われるんじゃないかと、他人事ながらわたしは内心ひやひやしていた。

でも、みんな大人ですね。見て見ぬふりを決め込んで、何事もなかったかのように、彼女は無事電車を降りていったのでした。めでたし。めでたし。

しかし、第3波が来たかもしれない今、またしばらくはそんなことできない風潮が巻き起るのだろうな。わたし的には、そっちのほうがよっぽどめでたし、めでたしである。

いや、ぜんぜんめでたくはないか。春までには収まるのだろうか。

※こちらの記事は、2020年11月30日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。

電車でマスクしないオジ(ョ)サン(5)|ながさごだいすけ|note

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