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亡き王女のオデュッセイア

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『放浪記』つながりで思いがけず見つけたのが犬養道子の『お嬢さん放浪記』であった。犬養道子はもちろん知っていたが、こんな本があるなんてまったく知らなかった。出版されたのはわたしが生まれた年である。これもベストセラーになったらしいが、林芙美子が放浪記の原型とするならば、これほどその名に似つかわしくない放浪記も珍しいのではないか。だからお嬢さんという冠がついているのだろうか。だれが考えた題名なのかはわからないが、なるほどと思わせるものが確かにあるような気がした。

とりあえず、旅行記つながりで一応目を通しておくつもりでアマゾンで買って(近くの本屋にはなかった)『放浪記』の次に読み始めたのだが、思いのほか面白くて引き込まれてしまった。さすがベストセラーは違うと思った。林芙美子の『放浪記』が、オデッセイ(放浪)の語源であるホメロスの『オデュッセイア』の廉価版のパロディなのだとすれば(といっても、まさか林芙美子がホメロスを念頭に置いていたとは想像しにくいが)、犬養のこれは、保守本流のオデッセイなのである。信じられないような行動力、遍歴の数々、人々への共感、全身全霊をあげて世界が光り輝いている。

読みながら、面白いけどこれはあまり参考にはならないと思った。男女の違いはともかくとしても、この持って生まれた資質の違いは如何ともしがたい、と感じられた。世の中を変えるのはこういう人なのだろう、と深く納得させられた。わたしはどちらかと言えば林芙美子のほうがなじめそうな気がした。さらに言えば須賀敦子のほうが。読書好きのひとはそういう人が多そうな気がする。あくまでも類型的な話ではあるけれど。

あっという間に読み終わってしまったので、次に読み始めたのが米原万里の『噓つきアーニャの真っ赤な真実』である。米原万里も名前だけ知っていてひとつも読んだことがなかったので、『お嬢さん…』をアマゾンで買うときに一緒に買っておいたのだった。題名に旅行記とはついていないものの、紀行文の一種だろうと思ったからだ。ベストセラーというわけではないが、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。米原もめいっぱい外交的な性格らしくそれが文章の随所に現れるが、本書で書かれているのは小中学生の頃の話なので、犬養のように多くの人を巻き込んでなにかをしたりはしない。共産圏で過ごした小中学生の時の親友に、同時通訳者として活躍している作者が会いに行く話である。犬養が戦後間もない米国や欧州で、敗戦国からの留学生ということで必然的に国籍や人種の問題にかかわっていくのに対して、米原は、父親が日本共産党からプラハに派遣されて現地のソビエト学校に通いその後ロシア語通訳者になったことで、必然的に東側の様々な問題にかかわっていかざるを得なかったことが、もっぱら個人的なレベルで綴られている。

世の中にはまだ読んことのない面白い本がたくさんあるものだ、と思った。

こんなことをしている暇はないはずなのに、なんだかどんどん話がずれていっている気がする。目的は自分の旅行記を書くことのはずなのに。いったい何をやっているのやら。

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