11月下旬の寒い朝、朝食に柿が出た。今年初めてではないだろうか、と思った。食べながら母が、「明智光秀は織田信長の家来だよね」という。「徳川家康と戦ったのは誰だっけ?」
「石田三成」とわたし。
「そっちの、みつ、ね」と母。「柿が大好物で、死ぬ前に柿を食べるか聞かれて、身体が冷えるからってことわったんだって。これから死ぬって時に、身体が冷えるからって。今柿を食べたらお腹が冷えてくる気がして思い出したの」
ググってみると、身体が冷えるのが理由ではないが確かにそんな逸話が残されているようだ。
https://app.k-server.info/history/ishida_kaki/
まだ逃げる気があったからこそ、と筆者は書いている。
一方で、身体が冷えるという説もあるようだ。
今から死ぬのに、と問われた三成は、最後の瞬間まで身体を大切にして一生懸命生きるべきなのだ、と答えたという。母はこちらを念頭に置いていたようだ。
これはソクラテスが処刑される直前までフルートの練習をしていた、という逸話に通じるものがある、と話を聞きながらわたしは思った。ちなみに、この逸話は、イタロ・カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』に出ていたものである。シオランというルーマニアの哲学者からの引用らしいからちょっと眉唾な気がしないでもないのだが。
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別の朝、母が新聞で見つけて切り抜いたものを、わざわざ二階にいたわたしのところに持ってきた。『すごい左利き』という本の広告だった。
「すごいんだって。活かせなくて残念だったね」と笑いながら母が言う。
あけっぴろげに、ざまあみろ、という感じでいうので、さすがに、ムッとしたが、こらえた。そりゃあ偉くはならなかったし、有名人でもないが、そんなこと実の息子に言ってどうするのか。何故か知らないが、母はそうやって人を見下すのが大好きである。
ふつうは、もっと同情するもんじゃないのか。
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仕事納めの日。帰ってくると、居間のカレンダーが新しくなっている。母に、1月1日に変えないといけないんじゃなかったのか、と聞くと(だって去年は確かにそうだった)、今日までならいいから、今日全部変えた。29日は仕事をしてはいけない日なので、29日になったらもう1月1日にしないといけない、とのこと。意味が分かりません。30日でも31日でもいいではないか。確か去年の年末は、わたしが新しいカレンダー(母が買ってきたスヌーピーだった)をかけたら、だめだといわれてあわててはずしたのだ。
去年の日記をみたらやっぱり書いてあった。31日にカレンダーを変えたら、それが「一夜飾り」にあたるということで母は怒ったようだ。29日が「二重苦」につながるから、その日に仕事してはいけないことになっており、28日までに済ますこととされる。28日までにできなければ30日でも、と書いてあるが基本的には旧暦大晦日なのでやはりだめらしい。でも、それ以前の問題としてカレンダーは正月飾りではないので、「一夜飾り」の禁忌には該当しないというのが(ウェブで見るかぎり)一般的な見解のようであるし、わたしもカレンダーは正月飾りじゃないと思う。
カレンダーのことはそれで終わりかと思ったら、そうではなかった。来年の二階のカレンダー「クマのプーさん」は母によればカレンダーではなかったので、買い物のおまけでもらったカレンダーを一緒にかけた、というのである。カレンダーじゃなかった? いったいどういうこと?
確かめに二階に上がると、プーさんカレンダーは、実は日めくりで31日分の数字にイラストとメッセージがついているだけであることが判明した。もちろん何月かはわからないし、曜日もない(あたりまえだ)。要するに、ただの数字が書かれたカードである。喫茶店などにおいたらちょっとおしゃれだし、プーさんファンなら部屋に飾るのも楽しいだろうが、カレンダーとしての実用性はほぼゼロである。カレンダー売り場で買ったと母は言い、それはまちがいなくそうだろうと思ったが、明らかにこれも母の老化の兆候なのだった。もっとも、母は若いころからこの手の勘違いがやたらに多いので、歳のせいとばかりは言えない気がする。
2022年カレンダー売り場でこの表紙だけ見たら確かに勘違いするかもね。
そうやって、コロナ二年目の年は暮れていったのであった。