3月のある日のこと。朝6時からサム・ペキンパーの『わらの犬』をやっていたので観ていると、最後のほうになって母がきた。
ラストシーンで、知恵遅れの男をつれてダスティン・ホフマンが車で町へ行くのだが、それを観て母が、あの男の人は知り合いなのか、と聞く。たまたま助けた(実際は車ではねて家に連れ帰ったのだが面倒なので省略)だけ、とわたしは答えた。
それから、補足のために、あの家は奥さんの実家で、ダスティン・ホフマンがイノシシ用の罠で首を挟んで殺した男は、奥さんの昔の彼氏であり、ホフマンが彼氏と乱闘した時、奥さんは思わず「チャーリー」と昔の彼氏のほうの名前を呼んでしまって、だからダスティン・ホフマンは奥さんをおいて、知恵遅れの男とふたりで町へ行ってしまったのだ、と説明した。
すると、「ああ、あたしがきたとき頭を罠で挟まれてた人ね」と言い、続けて「そりゃあ、おもわず叫んじゃうわよ、むかしの彼氏なら」というので、「どういうこと?」と聞くと、「お父さんもね、寝言で女の名前を呼んだのよ」という。
(えっ?)
「話したことなかったっけ?」
「いや、ぜんぜん」
「パン屋をはじめる少し前だったかしら」
どうやら、父は寝言で、女の名前を呼び、とうぜん離婚話になり、家は母の持ち家だから、父に出て行けと迫ったらしい。父は婿養子なのでそういうときは分が悪い。父は出て行かず、その後パン屋を始めることにした。パン屋は営業のひとが飛び込みで勧誘にきたのだが、積極的にやりたがったのは父のほうだったという。
「商売が順調だったら出ていくつもりだったのかもね」と母は言った。
その後、父が出張でアメリカに行くことになったのでパン屋を店じまいして一緒についていったという。父は最初は一人で行くつもりでいたが、弱みを握られているので拒否することができなかったらしい。
相手を知ってるのか、と聞くと、「そりゃあ、名前を言ったからね。でも、これ以上は知らないほうがいいわ」と言って母は笑った。
わたしは、なにも言えず、ただ笑うしかなかった。