わたしが、伊勢神宮に行ったときのことを母に聞くと、母は結婚してから伊勢神宮に行ったことはない、と言った。「だから、あんたたちを伊勢神宮に連れて行ったはずはないわね」というのである。
母は、むかし祖父と二人で行ったことはあると言った。それは、戦争が終わったばかりの冬のことだったという。なぜ祖母と三人でなかったのかと聞くと、祖母は当時すでに身体を壊していたから遠出は難しかったということだった。
「おじいちゃんが家族で旅行なんてしたの?」とわたしが聞くと、昔はけっこうした、と母は答えた。宮城に連れていかれたとき、母は「ここにも江の島がある」と言ったそうだ。お濠をみてそのむこうに島があるようにみえたからではないか、と母は笑った。本人は言ったこともその理由も覚えていないらしく、あとで祖母から聞かされた話だという。
伊勢参りは、岐阜の知り合いのところにいった帰りに寄った。岐阜県の笠がつく名前の土地で商いをしている家だった。
その頃の電車は、すべてではないのだろうが、手すりにぶら下がって乗る人が普通にいるような込み具合で、乗り降りは窓からだったという。「わたしも窓から乗り降りしたわ」と母は言った。まだ小学生だったからだろう、とわたしは思った。それとも、女性も普通に窓から乗り降りしていたのだろうか。
そんな時代になぜ旅行なんてしたのか、と聞くと、「たぶん、戦時中は灯火管制もあってもちろん旅行なんてできなかった。それで終戦になって、岐阜のひとが呼んでくれたのだろう」という。その人は岐阜で商売をしていて、祖父と知り合いだった。「なんの商売だったかは忘れてしまったが、その家に泊まった時、はじめて「あんか」(行火)というものを見た」という。母はずっと湯たんぽだったので、炭火が入っているあんかは暖かかったが怖くもあった。
翌日、せっかくここまで来たのだからと、祖父は母をつれて伊勢に連れて伊勢神宮にお参りしたという。あらかじめ予定されていた行動だったのか、それともその場で急に思いついたことだったのかは不明であるが、岐阜に行った帰りが伊勢神宮という発想が、なんとなく時代を反映している気がする。
伊勢神宮に行ったのは後にも先にもその時一回限りだった、と母は言うのだった。