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庭のヤツデ

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実家の庭のヤツデは、家が建った時からそこにあり、おばあちゃんが、お隣のエイちゃんを抱っこしてヤツデの前で撮った写真があった、と母は言う。ということは、そのヤツデには90年近い歴史があるということである。庭で一番古い木だという。

お隣のエイちゃん、というのがわからなかったので聞くと、昔お隣には別の一家が住んでおり、二人の子供がいたということだった。その下の子がエイちゃんで、写真は戦前に撮ったものだという。上の子はマアちゃんといった。二人とも男の子である。エイちゃんは小さくて可愛らしかった。マアちゃんは背も高くがっしりした体格だったが、二十歳を過ぎてすぐに亡くなった。生まれた時から心臓が悪かったのだという。

そのお隣一家は、お金に困って借金のかたに家を手放したというのだった。わたしが生まれる前のことなので、わたしはその一家に会ったことはない。一家が引っ越した後には、借金のかたにそれを手に入れた家族が越してきた。もう隣には住んでいないが、今でも同じ町内にいる。お隣同士なのにほとんど交流がなかったのを子供心に不思議に思ったものだが、そういう事情があったわけである。もっとも、特別に仲が悪いということはなく、なぜか家族そろって情報通なので、母は今でも彼らから街の噂を仕入れてくることが多い。

町内には、もう一軒、博打のかたに家をとられた家族がいた。もっとも、わたしが小学生のときの話なので、どこまで本当なのかはわからない。子供心にも、本当に博打で家をなくす人間がいるものだろうか、と思った。町はずれの街道沿いにある借家に越して夫婦でそこに住んでいた。奥さんのほうはトモちゃんと呼ばれていて、母と同い年だったらしいが、早くに亡くなり、テッちゃんという旦那さんも後を追うように数年後に亡くなった。

以前にもふれたケヤキのある隣家は、お茶屋さんで、文字通り茶葉や海苔の小売りをしているが、昔はこの町内に二軒あった宿屋のひとつだったといい、今でも塀に囲まれた広い敷地を所有している。一年前に茶屋を継いでいた次男が突然亡くなり、それ以来店は閉じたままになった。だれも開かない理由を知らなかった。ある時、お隣だった情報通の奥さんから、もう店をたたんで敷地をすべて売り、後には大きなマンションが建つことになったらしい、という話を母が聞かされてきたが、それきり立ち消えになった。

夏にケヤキとうちの桜を切る話を母がしに行くと、長男が出てきて、確かに彼が家を継いでいるのだが、彼の奥さんと子供はもうそこにはいないということだった。酒乱に愛想をつかし子供を連れて逃げていった、ということのようだった。次男は独身だったので、兄弟二人で広い屋敷に住んでいたが、次男も亡くなり、長男は一人きりになってしまったという。

そりゃあ、七十をとうに過ぎていまさら店番でもないよな、とわたしは思ったが、母がお茶のことを聞くと、リクエストが多いので、近々再開する予定とのことだった。もっとも、実際、その後店は何度か開いたものの、今はまた閉まってしまっていて、今後どうなるのかよくわからない雲行きではあった。

そんなこんなで、85年の間一度も引っ越しをしたことがなく、家族に逃げられたこともない母は、ときどき、自分は幸せだったというのである。でも、わたしには、結局のところ、ものごとはすべて相対的なものなのだ、としか思えないのだった。

庭のヤツデ|ながさごだいすけ|note

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