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桜の枝が折れた話(1)

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朝食のとき、ブルーベリージャムの蓋が閉まってないので閉めようとすると、

「ずるずるよ」と母が言う。「冷蔵庫にしまっておかなきゃだめね」

そして、なぜか、「これもね」と言って未開封で隣に置いてあったマーマレードの蓋をわざわざ開けてしまった。

「ほらね、ずるずるでしょ?」と得意げに言う。

「未開封のままなら、そのまま置いておけるのに」とわたしが指摘すると、「あっ」という顔をして黙ってしまった。

(いったいなんのために開けたのだろうか)とわたしは思った。

とはいえ、開けてしまったものはしかたがない。わたしは、これ幸いとフランス製のオレンジマーマレードをトーストにつけていただいた。おいしかった。土曜日にカルディで買ってきたものである。

食後、仏壇に線香を供えに行くと、いつも母が供える仏飯器がおいてなかった。どうやら今日も忘れたらしい、とわたしは思った。最近ときどき忘れることがあるのだ。まだ、多くても月二回くらいだが、去年までは忘れるようなことは全くなかったような気がする。そもそもお供えを忘れているということは、朝のお参りをしてないということだから、かなり重症なのかもしれない。

そう思うと少し憂鬱になったが、昨日遅くまで、伐った桜を処理していたからかなり疲れたのだろう、ということを思い出したので、少し気持ちが楽になった。そのあとで確かシャワーを浴びて、8時頃からビール飲みつつ時代劇を見ていたはずで、いつもは6時過ぎに寝てしまうのだから、筋肉疲労に加えて寝不足ということも考えられた。

庭の桜は、わたしが中学生の頃に父が植えたもので、今では実家の二階の屋根より高くなっていた。梅雨の長雨の影響か、根本近くから二本に分かれている太い幹の一本が、途中のかなり以前に切って断面が露出していたところに亀裂が入り、そこから先が母屋の雨どいにもたれるようにしてとどまっていたのを、日曜日の朝食のときに母が見つけた。前日の土曜日に妹夫婦が来たときはなんともなかったので、文字通り突然の出来事であった。

母は、隣家のほうに出っ張っていた枝の重みで折れたと主張した。最近、隣家にはみ出した枝の剪定に業者を頼みたいと母がしきりに言っていたのは事実であった。だが、そのための費用がかなり高額になりそうだというので、躊躇していたのである。母はどうやら費用の一部をわたしに負担させようと思っているようだった。わたしは、そのくらいは自分で切れるから業者になんて頼む必要はない、と答えた。とはいえ、特に急ぎの案件とも思えなかったので、夏が過ぎて涼しくなったら、あるいは葉が落ちて切り易くなってからでもいいと考えていた。

すぐに切っていてもたぶん折れただろう、とわたしは母に言ったが、実際に折れた後では自信がなかった。とにかく早急になにかをしないといけなくなり、物置にあったノコギリを出してみたが、何十年も前の代物で、刃が丸まってボロボロに錆びているのでほとんど役に立たなかった。

それで、さっそくアマゾンで探して一番安い折り畳み式ノコギリを注文した。

翌日の夕方に届いたノコギリは、古いノコギリとはまったく違う立体的でいかにも切れそうな刃がついていた。二階のベランダから古いのこぎりでは全然切れなかった部分を挽いてみると、あっという間に切ることができたので、調子に乗ってもう一本も切った。全部で十分もかからなかった。

手が届く範囲はそれだけだったので、残りは翌日にしようと思って居間に下りてきたが、母にそのことを言うと、がぜんやる気を出して、どこにしまってあったのか、みたこともない脚立を出してきて、隣家にはみ出している部分を全部すぐに切れというのだった。

(別に今日でなくてもいいではないか)とわたしは思ったが、母は気になりはじめるとそれが終わるまで別のことが手につかない性格なのである。隣家に桜の木が倒れて巨額の賠償金を請求されると、はっきり聞いたわけではないが思い込んでいる節があり、それで気になって仕方なかったところへもってきて、実際に倒れ始めたというわけだから、不安もマックスに達していたのだろう。

仕方なく、脚立に乗って、手の届く範囲を切り落とすと、母は、それをせっせと小さく切ってごみ袋に詰めていた。明らかにそちらの作業のほうがよほど大変で、それこそ別に急いでする必要はなかったはずだが、一挙に済ませないと気が済まなかったとみえ、小一時間も汗だくになりながら桜の枝と格闘していたのだった。

桜の枝が折れた話(1)|ながさごだいすけ|note

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