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桜の枝が折れた話(7)トーマス篇1

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ちょうど二十年前(2001年)のクリスマスに、家族三人でバーミンガムに行った。息子は五歳になったばかり。御多分にもれず『きかんしゃトーマス』が大好きだったので、本物のトーマスに乗ってサンタさんに会いに行こうというわけなのだった。

といってももちろん、本物のトーマスなんているわけがない。これはイギリスを中心に世界中で行われている「A day out with Thomas(トーマスでお出かけ)」というイベントで、トーマスの顔がついた蒸気機関車に乗車するのである(日本では静岡県の大井川鉄道で運行している)。さすが蒸気機関車発祥の国だけあって、イギリスにはやたらに古い蒸気機関車の路線があり、ほぼ毎日どこかで、トーマスが走っているのだった。

バーミンガムに行ってトーマスに乗った時のことは、二十年たった今もはっきり覚えている。市内の中心部にあるホテルに泊まり、二日かけて、二つのまったく違う場所にあるリアルなきかんしゃトーマスに乗りに行ったのである。ひとつは、かなり郊外にあって、既に廃線になった短い区間をほんの五分ほど乗って洞窟のサンタさんに会いに行くもので、もうひとつは、比較的近郊の、現在も営業している蒸気鉄道(観光用なのだと思う)で、約一時間の往復コースだった。そちらのサンタさんは、出発駅の横に作られた洞窟にいた。

旅行の全体をかなり詳細な部分まで覚えていたのは驚きだった。初日は、西の方の郊外に出掛けたこと、駅から蒸気鉄道まではかなり遠くタクシーに乗ったこと、二日目は市内といってもいい近郊の蒸気鉄道のターミナルで、電車駅のすぐ隣にあって、大勢の人で賑わっていたこと。サンタのそりがあって、家族で記念写真を撮ったこと…

ところが、いろいろ思い出しているうちに、ひとつ重大な問題があることに気が付いた。かんじんの蒸気鉄道の名前を思い出せない。鉄道名だけでなく、地名も駅名も思い出すことができない。唯一覚えている地名はバーミンガムだけで、それ以外の固有名詞はきれいさっぱり記憶から抜け落ちてしまっていたのである。

せっかく楽しい思い出を語ろうというのに、具体的な名前がまったく思い出せないのでは、文章にしようがない。もちろん、そんなものはなくても、上に書いたように具体的に描写をすることはいくらでもできる。実際に思い出せるままに書いていけばいいのである。だが、それでは旅行記の体裁をなさないような気がした。家族そろってバーミンガムに行きました、二つの蒸気鉄道できかんしゃトーマスに乗りました、サンタの洞窟に行ってクリスマスプレゼントをもらいました、では、小学生の作文である。

なにより、自分自身が納得できなかった。嫌なことがあって、気分を紛らすために、楽しい昔の思い出話をしようと思った。そこまでは良い。ところが、その思い出のかんじんな部分が固有名詞抜きでしか思い出せない。たとえて言うなら、パリに行って、パリ万博のときに建てられたあの鉄塔を見てきたとか、ロンドンに行って、女王陛下がお住まいになっているあの宮殿を見てきたとか、ミュンヘンに行って、郊外の山の上にあるあの有名な王様が建てたあの城を見学したとかいうようなものではないか。

これでは全然楽しくない、とわたしは思った。とりあえず、あの蒸気鉄道の名前か、具体的な地名だけでもはっきりさせておかなければ、文章を書き進めることはできない、と感じた。幸い二十年前ならすでにインターネットも普及しておりグーグルも存在していた。実際のところ、蒸気鉄道の予約もホテルの予約もウェブでしたのである。見つける(あるいは思い出す)のにたいして時間はかからないはずだと思った。

だが、結論からいえば、それはそんなに簡単なことではなかったのである。

桜の枝が折れた話(7)トーマス篇1|ながさごだいすけ|note

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