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桜の枝が折れた話(9)トーマス篇3

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わけがわからない案内図とはいえ、道路のつながりは正確に書かれているわけだから、現実の道路の名前さえわかれば、それほど見当違いの方角に行くことはないだろう、とわたしは考えた。

実際、その方針自体は間違っていなかったが、問題は現実の道路に名前がどこにも書かれていなかったことだった。正確には、現実の道路には標識があって名前が書かれていたが、記号と番号が書かれていなかった。だが、案内図にあるのは道路の記号と番号だけで名前は書かれていなかった。イギリス人ならそれを見ただけですぐにわかるのかもしれなかった。だがあいにく地元のイギリス人にはひとりも出会うことができなかった。

案内図と、現実に見える道路のつながり、そして駅から来る途中のタクシーで見えた風景の記憶だけが頼れるもののすべてだった。あとは日が完全には落ち切っていなかったので、それをたよりに北と思しき方角に行けば、駅か最悪の場合でも電車の線路に行き着くはずだった。いくらなんでも、蒸気鉄道とはいえ曲がりなりにも操車場がある場所と電車線の駅の間に荒野が存在するとは思えなかったので、なるべく広い舗装のしっかりした道を歩いて行けば、すぐにでも人気のある場所に出るだろう、と思ったのである。

だが、知らない土地を歩くとき、ひとつの方角に向かってまっすぐ歩くことは実際にはけっこう難しい。特に日が暮れて星も出ていないとなればなおさらである。道がまっすぐかどうかがそもそもわからない。時として、主要な道なのに、妙に曲がりくねったり、側道のようにみえることもあり、正確な地図をみながらでさえ迷うことはしばしばある。簡略化した案内図しかない状態では、いつまでたっても目的地にたどり着けないのも無理はなかった。

道を歩いていて、迷ったときにどうするかといえば、誰かに道を聞くのが常道だ。交番や店や、とにかく人がいる場所に行けばなんとかなる、というのはだれでも考えるだろう。ところが、なにもないのである。たしかにタクシーでも商店を見かけた記憶がなかった。だが、イギリスは文明国なのだから、1時間も歩いて、ただの1件の店舗にも行き当たらないのは、まったく驚きだった。いや、驚きというより、おそらく間違った道筋を歩んでいるのだ、ということくらいは歩きながらわたしもうすうす感じていた。だが、だからといってどうすることもできなかった。日はとうに落ちていた。今まで歩いてきた道には何もなかったのだから引き返しても無駄である。街はずれの方角に道が続いているのだとしても、一本道をとりあえずは進む以外になかった。側道に入ったらそれこそわけがわからなくなってしまうと思った。

そうやって2時間か3時間は歩き続けたろうか。子供はもうとっくに眠っていたので、わたしが肩車して担いでいた。明かりが見えた気がしたので、わたしはもう半ばやけになって木立の中の道に入っていった。林の中を抜けると、広く開けた麦畑が一面に広がっている場所にでた。明らかに町のはずれに来てしまったのだった。そこはかなり遠くまで見渡せる場所で、畑のはるか向こう側に街灯の並んでいるところがぼんやり見えた。ハイウェイが走っているのだと思った。そういう道はかならず大きな町と町をつないでいるはずだから、まずは街灯の並んでいるところまでたどり着こうと考えた。そうすれば、さすがになんとかなりそうな気がした。

とりあえず目標が定まったのでだいぶ気が楽になり、そこからは肩にかかる子供の重さも気にならず、いっきに街灯のところまで、といってもかなり疲れていたので、なんどか休み休み、やっとのことでたどりついた。

街灯が並んでいたのは、予想通り幹線道と思しき交通量の多い道路とその上を横切る地方道の交差するあたりだった。やっとたどり着いた街灯の密集するあたりには道路しかなく、交通量は多いものの、まさか走っている車を止めるわけにもいかずに、またやり直しなのか、と思いかけたが、幹線道と地方道の交わるところには、かならずドライブインの類があるはずだと思いなおして、真っ暗な周囲に目を凝らしてみると、少し離れた木陰にマクドナルドの看板が見えた。

レストランがあればタクシーがいるだろうと思ったが、店の前は閑散としている。タクシー乗り場のようなものは存在しないようだった。考えてみればドライブインなのだから、タクシー乗り場があるはずはなかった。とりあえず店内に入ったが、どうしたらいいのかわからない。入口の近くにいた高校生らしい客の女の子に、タクシーを呼ぶにはどうしたいいのか、と聞くと、入り口を入ったすぐの壁にある電話を指さした。それがタクシー呼び出し専用の電話なのだと彼女は言っているようだった。だが、自分がどこにいるのかもわからないので、英語でタクシーを呼べるはずはない、と思ったわたしは、「もうしわけないけど、タクシーを呼んでもらえないでしょうか」とその女の子に頼んだ。彼女は、別に嫌な顔もせずに、すぐにタクシーを手配してくれた。考えてみれば、タクシー専用電話なのだから場所は相手側で把握できるはずで(そうでなくても電話のどこかにわかりやすく書いてあっただろう)、わたしの英語でもどうにかなったような気もするが、もうそのときは疲労困憊していて、そんな気力さえでなかったのである(ちなみに、マクドナルドでバーガーを注文する気力さえ出なかったので、何も買えなかった)。

タクシーはすぐに来たはずだが、実はタクシーを呼んでもらった以降のことはまったく記憶がない。翌日以降も特に問題なくバーミンガム観光をしたので、無事ホテルに帰り着いたことだけは確かであった。

(設問)さて、ここで問題です。わたしは、どこに行き、なんという蒸気鉄道に乗ったのでしょうか。(ヒント)バーミンガムから西の方に30分ほど電車に乗って行った小さな街です。

桜の枝が折れた話(9)トーマス篇3|ながさごだいすけ|note

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