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桜の枝が折れた話(10)トーマス篇4

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というわけで、地名など思い出せなくても、なにがあったかは語ることができるし、これだけ話せれば十分という気もするが、わたしはどうせ書くなら自分が乗った蒸気鉄道についてもう少し詳しく知りたいと思った。すると、名前を思い出せないことがネックになって、先に進めなくなってしまった。検索で結果を出せないことで自分が否定されたような気分に陥った。明らかに桜の一件が尾を引いて軽いうつ状態になっていたのだと思う。

バーミンガムの西の方、電車で30分ほど行ったところで、比較的大きな道が町を取り囲むように走っていて、電車の駅はその北のはずれにある。蒸気鉄道は駅から南西に5kmほど離れた場所にある。蒸気鉄道と駅の間のどこかの(あるいはまったく見当違いの場所かもしれないが)大きな幹線道と地方道の交差するあたりにマクドナルドがある。というのが手掛かりのすべてだった。あとは、蒸気鉄道がわずか数分でサンタの洞窟の最寄り駅に到着し、サンタの洞窟は鉄道の上を横切る道沿いにあったということだろうか。観光用に短い線路しか残っておらず、線路を横切る陸橋がかかっている場所を地図の上でみつければいいわけである。

だが、予想以上に英国の蒸気鉄道がたくさんあったために、特定するのは難しかった。わたしの目には、どの蒸気鉄道の路線もみな同じに見えた。写真やGoogleマップのストリートビューをみても、どれもイギリスらしさに満ちていて、わたしの記憶にある景色との区別がつかなかった。

実を言えば、バーミンガムから西の方に電車で行った場所ということで、正解は検索を始めた初日からみつかっていた。西の方に時間的に行ける範囲にある蒸気鉄道は数か所しかなく、それに電車駅の周辺にほとんど建物がなかったことや、離れた幹線道路沿いにマクドナルドがあるという条件を加えると、最初から選択肢はひとつしかなかった。だが、それはわたしの記憶のなかにある蒸気鉄道とは一致しなかった。というか一致しないようにみえたのである。

それで、なんどとなく、正解にたどり着いては離れ、またたどりついては離れを繰り返し、もう絶望的な気持ちになって、とうとう検索能力にも陰りが見え始めた、と思い、そろそろあきらめようと思った矢先に、そもそもネットで予約したのだから、なにかその痕跡がハードディスの中のどこかに残っているのではないかと思い当たった。メールのアドレスは、仕事用もプライベートも当時とは変わっていたし、そもそも古いメールをすべて完全に保存することなど、とうの昔に諦めていたので、そちらに期待することはできなかった。でも、もしかしたら、予約した時に記録のためにホームページを保存したとか、文章に残してないかと思った。だが、その当時の日付の文書をいくら検索してもそのようなものは残されていなかった。

文章といえば、日記や個人的な感想を書いた文書は別の場所に保存していたことを思い出した。それまで、バーミンガムに行ってからの行動ばかり気にしていて、そもそもどういう経緯でバーミンガムに行ったのかは考えもしなかったのだが、それはドイツ出張中にクリスマス休暇で行ったので、もしかしたら日記をつけていたかもしれなかった。

調べてみると実際にバーミンガムに行った前後の出張中の日記がみつかった。その頃は毎年のようにドイツに出張しており、たいていは単身だったので、暇を持て余して日記をかなり詳細につけていたのだった。バーミンガムには、フランクフルトからひとりで飛行機に乗って行ったのである。だが、バーミンガムにはPCを持って行かなかったし、そもそも家族三人で過ごしているときに、日記などつける暇などなかったから、すっかり忘れていたのだった。日記は、12月9日から翌2002年の1月4日まで書いていた。12月9日はドイツに着いた日であり、そこから毎日の仕事の記述が延々とつづくのだが、バーミンガムに行く前日の20日で終わっている。次の記述は1月2日になっており、12月21日から27日までバーミンガムに行ったことが書いてあって、蒸気鉄道に乗った日のことも書いてあった。だが前半はひとりだから日記も詳細だったが、後半は家族三人だったので、最小限のことを書きとめるので精いっぱいだったようだ。

それでも、肝心の蒸気鉄道の名前は書いてなかったが、22日にキッダーミンスターに行って蒸気機関車に乗り、23日にトーマスに乗ったことがわかった。これは大きな進歩だった。キッダーミンスターから出ている蒸気鉄道は、セバーンバレー鉄道といい、現在でもかなり長距離を運行する観光用の鉄道で、バーミンガムと蒸気機関車で検索するたびに出てくる有名どころであり、電車の駅に隣接していたから、こちらが1時間近く乗った蒸気鉄道ということで間違いなかった。

実は、トーマスはセバーンバレー鉄道だったのではないかという気がして、どうしても候補から外すことができずにいたのである。日記を見つけたあとも、しばらくは頭を離れず、実際には、二日続けて同じ蒸気鉄道の違う駅に行っただけかもしれないとか、名前を取り違えていたのかもしれないなどと、過去の自分を疑い、なんどとなくキッダーミンスターやセバーンバレー鉄道を見直したが、いくらみてもそれらとトーマスは結びつかなかった。

結局このあとも、なんどとなくセバーンバレー鉄道の周辺をうろうろしていたが、しだいに(検索の初日に既に見つけていた)西の方のテルフォードという街にあるテルフォード蒸気鉄道のほうが確からしく思えてきた。電車駅と蒸気鉄道の距離感が記憶に一致する場所が、いくら探してもそこしかないことがわかってきたためだった。だが、依然として決め手がない。テルフォードという名前がまったく記憶になかったし、サイトに載っている写真も記憶の中の蒸気機関車と一致しなかった。

そうして、もう5日以上もあれこれさまよいクリックしまくった挙句に、ようやく写真を撮っていたことを思い出したのだった。

写真はすぐに見つかった。なんですぐに思い出さなかったのだろうか。わたしは、その蒸気鉄道で撮った一枚の家族写真を長い間PCのデスクトップに張り付けていたのである。つまりはお気に入りの一枚というわけだったのだ。ハードディスクの奥にしまい込まれた写真の中に、その一枚をみつけたときは、正直、なにをやってるんだ、おれは、という気分になってしまった。写真にはトーマスはもちろん、テルフォード蒸気鉄道の看板も写っていた。間違いなかった。

人の記憶というのはおかしなものだと思った。覚えていることはとことん細部まで思い出せるのに、きわめて断片的なのである。おそらく、連続的に思い出しているつもりでも、それは映画のように断片を素早くつないでいるだけなのだろう。残っている記憶はコマ単位なのだ。

疑いようのない証拠写真がみつかったことでやっと少し気分が落ち着いた。楽しい思い出どころか、悲惨な老化の爪痕になりかねないエピソードになるところだった。いずれ、「この写真なんだっけ?」と言い出す日が遠からず来るのかもしれない。でもまだ時間に余裕はありそうだ(と良いのだが)。

なんだか最近、こんなオチばかりな気がする。

桜の枝が折れた話(10)トーマス篇4|ながさごだいすけ|note

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