毎週木曜日は、母がコーラスに出掛ける日である。いつもは、わたしも出勤していて家にいないのだが、1月6日は、年が明けて陽性者が増えてきたこともあって、テレワークに切り替えて二階で仕事をしていた。午後から大雪になると天気予報は告げていて、テレワークにしておいてよかったと思った。
母は、早くから台所で歌を練習する声が聞こえていたが、すぐにやめてしまったので、出かける準備をしているのだと思った。だが、8時前にコーヒーを淹れに下りていくと、台所はしんとしている。もう出かける時間でバタバタしているはずだが、どうしたのかと思って居間に行くと、母はのんびりTVを見ていた。
今日はすぐに雪が降りだしそうなので、行くのをやめたのかな(たしか年末にも、風邪気味だと言って休んでおり、最近は行きたい気持ちと行きたくない気持ちがいつもせめぎ合っているようだ)、と思いながら、どうしたのかと聞くと、手帳をみたら13日からと書いてあり、今日(6日)はコーラスはない日だったと答えた。
だが、母は年末から、新年は6日からなの、なんでかしらねえ、などと繰り返し言いつつ、それはそれで楽しそうであったので、わたしは、そこまで確信して6日だと言っていたのが単なる記憶違いだったとは、にわかには信じがたかった。でも、手帳に書いてあるのなら、そうなのだろうと思い、あまり深く考えないでテレワークに戻った。
昼食を終えて居間で母とコタツに入ってTVを見ていると、突然電話が鳴った。実家の電話は週に数回も鳴らないし、それもたいていは営業の電話である。わたしが取ると、予想に反して、それはKさんという母のコーラス仲間の人からだった。なぜこのタイミングで? 彼女も日付を間違ってしまった不幸な女性のひとりなのだろうか、それとも来週の確認なのだろうか、と少し不思議な気持ちになりながら母に受話器を手渡した。
電話に出た母が、すぐに猛烈な勢いで言い訳を始めたので、事情はすぐに呑み込めた。今日は新年最初のコーラス会で間違いなかったのに、母が勘違いしたのである。
電話を終えた母に話を聞くと、Kさんはコーラス会の練習が終わったところで、母が連絡なしに会を休んだのでなにかあったかと心配になって電話をくれた、ということだった。
母は、話しながらだんだん経緯を思い出してきたようすだった。最初の計画では1月は13日からの予定だったのでそれを手帳に書き込んだ。ところが13日は先生が来られないということで6日に変更し、13日はお休みになることが電話連絡で伝えられた(母たちの連絡網は未だに電話オンリーである)。ところが、それをどこにも書き留めておかなかったので、口では6日だとずっと言い続けていた(わたしも何度も聞かされた)のに、念のためにとおもって確認すると、手帳には13日としか書いてないから、そうか13日だったのだ、と思ったということらしかった。
「あたしもとうとうほんとうにぼけちゃった」と母は言った。
笑いごとでなく、ほんとうにそうなので、わたしはなにも答えようがなかった。
「なんで、電話して確認しなかったのか」とわたしが言うと、母は苦笑いしてなにも答えなかった。
ようするに、雪で行きたくないという気持ちが、手帳の記述を都合よく解釈させてしまった、ということなのであり、自分でもそれに思い至ったのだろう、とわたしは思ったが、もちろんなにもいわずにおいた。墓穴を掘る一歩手前で言葉を飲み込むのが実家でうまくやっていく秘訣である。
実のところ、台所にかけてある母の予定がすべて書き込まれたカレンダーに1月の予定がまだ書かれていなかったので、わたしもちょっとだけ気になっていたのだった。こういう細かいことをおろそかにするようになるということは、そのための余裕がなくなっているということであり、それはつまり疲れていたりして、認知能力が断続的に低下しているということの表れなのではないかと思ったからである。
わたし自身も、最近余裕がなくなっており、こんな時に母までぼけちゃったらパニックである。せめてまだしばらくはしっかりしていてほしいと思った。だが、そろそろ妹にまじめに相談しないといけなくなってきているのかもしれない。そう思うと憂鬱な気がした。