昼食のとき、母が昨日定期健診に行った話を始めた。明らかに怒っていた。なんでも、飲むのを忘れがちでたくさんたまってしまった薬を、わざわざお医者さんに見せるためにぜんぶ持っていったらしい。先生が、そんなに頻繁に忘れるということは認知症かもしれないので検査しましょうと言いだしたという。
検査は、長谷川式認知症スケールとか呼ばれるものだったらしい。看護師さんに、「今日は何年の何月何日ですか?」と聞かれたので、令和3年の10月5日ですと答えると、一瞬「えっ?」という顔をされ、それから少し間があって、「あ、ああ、そうです。合ってます」と言われたという。
「失礼しちゃうわ」と母は言う。どうやら、看護師は西暦で考えていて、一瞬「令和」という単語に反応できなかったようだというのである。「もう頭から認知症だと決めてかかっているから、そんなことになるのよ。」
検査が終わって待合室で待っていると、看護師さんがドアを開けてこちらを見て、「あら、おひとりなんですか!」と驚愕の表情をみせ、慌ててドアを閉めた。明らかに、ひとりで帰れるはずないだろう、と思ったようだったという。
でも、それからすぐにまたドアが開き、「検査の結果、認知症ではありませんでした」と看護師に告げられた、と母は言うのである。点数は聞かなかったが、満点に近かったはずだと母は言った。
認知症かもしれない、と疑われたせいで、明らかに周りの対応がおかしくなっていた、と母は怒るのである。そもそも一人で来られたのが奇跡だし、そこにじっと座っていられるかどうかだってあやしいから、と看護師さんたちが、一瞬たりとも目を離さないようにしていたというのである。
(だったら、少しでも疑われるような行動は慎むべきだったのではないか)とわたしは思ったが、もちろん口には出さなかった。
薬を飲み忘れることを訴える患者のどこに問題があるかといえば、だれだってとっさに記憶障害のような認知症の兆候を思いつくだろう。もっとも、わざわざ飲み忘れてたまった薬を全部持って診察にくるという行為自体は、認知症ではないことを示唆しているようにも思える。認知症なら、ただ飲み忘れて、そもそもその飲み忘れている行為自体も忘れるだろう。
たぶん、母の言い方には誤解を招くようなところがあったのだ、とわたしは思ったが、実はそれこそが認知症の兆候なのかもしれず、結局医師の判断は間違っていないように思えてくるのだった。
その週末に夫婦でやってきた妹にも、母は健診に行って認知症と思われた話をして盛り上がった。
だが、だんだん話を繰り返しているうちに、実際には、待合室で看護師さんに「認知症じゃありません」とそっけなく言われたのではないことが判明した。診察室で先生の前に座っているときに、隣の部屋で長谷川式認知症スケールの採点を終わった看護師さんがその場で「認知症じゃありません」と大きな声で院長に結果を伝え、それを聞いた院長が目の前の母に「認知症じゃなかった」と伝えたということのようである。
「ずいぶん失礼な看護師、訴えてもいいレベル」と病院薬剤師の妹は断言し、それを聞いた母は「診察室へのドアは開きっぱなしになっていてみんなに聞こえたわ」と再び怒りが込み上げてきたようであった。