「カゾクを支える、カイゴを変える」
介護と親と向き合うサイト

「情けないったらありゃしない?」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

一昨年、ちょうど六十歳になる半月前に突然高熱が出て40年ぶりで医者に行った。普段なら2、3日寝込むことはあっても熱だけはなぜかでないので医者には行かないのだが、今回は5日間たっても38.6℃の熱が下がらず、さすがにやばいと思っていったのだが、抗生物質を飲んだらうそのように熱が下がった。お医者様さまさまである。

熱が下がると急に食欲が回復した。1週間も高熱で寝込んで後半は食事もほとんど食べられないほどだったので、立ち上がるのさえ一苦労だったが、覚束ない足取りで食べ物を求めて台所に向かった。

ところが、なりふり構わずしょぼくれた顔をして台所に降りてきたわたしをみて、母は開口一番、

「なに情けない顔してるの。いやねえ、だらしない」

と吐き捨てるように言って行ってしまった。

いや、そこは慰めるところじゃないのかよ、とさすがに思ったが、もしかしたらボケ始めているのかもしれないとも思って少し不安になった。もちろん情けない顔なのはわかりきったことだったが、それが隠せないほど情けない時というのも確かにあり、それがまさにその時だったのだ。母にはそれすら分からなくなっているのだろうか?

もっとも、昔からこんな調子だからこそ、いつも元気な顔をしてみせるのが癖になっていたような気もする。でも、病院に行くほどのひどい病気は40年ぶりなのだから、病気のときに母の反応がどうだったかなんて覚えているわけがない。それに、40年前にかかったのはおたふく風邪で、文字通り死線をさまよった(気分的には)から、わたしには周りの反応なんて気にする余裕はなかった。頭には氷枕、脇の下と股間に大きな氷嚢を抱えて、それがとても気持ちよかったという記憶しかない。42℃も出たのだから当たり前だが、一晩中、氷を抱えて眠るのが死ぬほど気持ちいいと思ったのは後にも先にもあのときだけである。

それはともかく、母が妙に冷たいのが果たして老化のせいなのか考えていると、昔はどうだったか気になりはじめ、小学生の頃、頭にケガをして一月入院したことがあったのを思い出した。一月も入院するとはかなりの深刻な状態だったと思うかもしれないが、本人的には特に体調も(初期を除けば)悪くなく、ただベッドに寝ているだけの退屈な日々だった。だから退院が決まったときはうれしくてはしゃいでいたと思う。

ところが、帰宅するなり、いきなりおばあちゃんに思い切り抱きしめられたのだった。わたしはもうすっかりよくなっていたし、もともと大したことはなかったつもりだったから、なんて大げさなと思ったが、いつまでもしがみついていて離してくれない。困ったなと思いながら、見ると泣きながら震えるか細い声で「よかった、よかった」と言っている。小学生のわたしにとって、泣くのは悲しいからであって、嬉し泣きという言葉は知っていたが、実感がわかず、年寄りはなんて涙もろいんだろうくらいにしか思わなかった。

でも、今思うとむしろあれが普通の女の人の反応だろうと思う。いや女性だけでなく男性でもそういう人は多いだろう。わたしも祖母に似たのか、どちらかというとそうなのでよくわかる。

で、母はどうだったかといえば、むろん抱きしめてなどくれなかった。泣いたりもしなかったし、魂をしぼりだすように、よかったと言われた記憶も、もちろんない。

いや、母は毎日病院で朝から晩まで看病してくれたのだから、ずっとうちで心配していた祖母のようにふるまうはずはない。当時もそう思ったはずだが、病気がなおってやっとのことで起きてきた息子が、しゃんとしていないと言ってなじる母を見ると、複雑な気持ちになった。というより、このときばかりはさすがにむっとしてしまい、ボケを疑ったのだった。

その後、特にボケたという兆候はみえない。はて、これは喜ぶべきことなのか、それとも悲しむべきことなのだろうか?

ちなみに、頭のケガの後遺症は二十歳すぎまで続いた。祖母の反応がちっとも大げさではなかったことに思い至るのは、しかしはるか後のことである。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

ご相談はこちらから