別に母に限ったことではないのだが、人に頼まれて買い物に行くのが苦手である。特に女性からの注文が難しい。
ある日曜日、街に買い物に行く、と言うと晩御飯にサンドイッチを買ってきてほしいといわれた。サンドイッチといってもハム、卵、ツナなどいろいろだし、最近はパンの種類もベーグルやフランスパンなど選べることが多い。なにがいいのか、と聞くと、
「サンドイッチならなんでもいいのよ、カツサンドでもなんでも買ってきて」と母は答えた。
これが地雷であることくらいはさすがに60年も息子をやっていればわかるのだが、だからといってそこまで気を使うわけでもないのはいつものことである。
実際にパン屋に行くと、いろいろなサンドイッチが置いてあったが、まずはカツサンドをひとつカゴに入れた。あとひとつかふたつ、と思って見ると、赤や黄色の彩り鮮やかなものが目に付いた。表示を見ると「イギリスパンの菜の花サンド」と書いてあった。カツサンドよりこちらのほうが健康によいと思ったが、もちろんカツサンドは落とせない。それにカツサンドでもなんでも、というのはカツサンドとそれ以外の想像もしない何か、という意味ではない。要するにカツサンドを買って来いという意味なのだ。それはわかっていた。でも、それにぜったい従う必要もない。なぜかというに、ひとつはわたしが食べる分なのだから、いざとなったらわたしが食べれば良いだけである。
そう考えながらも、それが危険な賭けであることはわたしも承知していた。選択が母の気に入らなかった場合には、そもそも買い物に行ったこと自体が間違いだったことになってしまうからである。正直なところ、何十年たっても母の好みはいまいちわからないのだ。
とは言いながらも、カツサンドと菜の花サンドをひとつずつ買って帰ったのは、もちろん、母も彩り鮮やかな菜の花サンドを気に入ると期待してだったが、そうはならない予感と半々でもあった。
残念な予感は当たるもので、案の定、母は菜の花サンドイッチには手を出さなかった。
「なんで同じもの買ってこなかったの? これ、なに、カラフルだけど?」
「菜の花サンド」
「あらそう」
「半分ずつにしたらいいと思って」
「私はいいわ」
おいしそうだと思えば、注文にあろうがなかろうが手をだす母なので、明らかにこれは期待から大きくはずれていたとみえる。というより、もう出した瞬間から期待外れオーラを出しまくっていたので、返事を聞くまでもなかった。そういう時にすぐに文句を言い出さないのも母の癖で、すぐに言えばいいのに、後になって何か別の時に関連付けて嫌みがでたりする。
最近では、わたしが自分で食べるつもりで買ったドライマンゴーの残りを全部食べてしまって、翌週帰ると新しい袋が置いてあったこともあったので、わたしが勝手に買ってくるものがすべて気に食わないというわけではないのだが、なんでも期待通りという風にふるまってくれるわけでもないのが母なのであった。息子だからなのか誰にでもそうなのかは、実はよくわからないのだが。
この間合い、あうんの呼吸とでもいうのだろうか。いくつになっても難しい。