父ががんで亡くなってまる7年になる。最後の2-3年は、放射線の一件でもわかるように、かなりおかしくなっていたような気もする。
だが、これは、と思う決定的な事件が起きたのは、亡くなるほんの半年くらい前のことだった。といってもその頃はまだ、わたしは実家にほとんど帰らなかったので、すべて後から母に聞いた話である。
父はある団体の会長をしていたことがあり、任期が終わってからも役員のひとりとして定期的に顔を出していたようだ。その日も昼の会合に出席するために朝から出かけたはずだったが、昼前に会の担当者から母に電話があり、父が会場に来ていないがどうかしたのか、という。
そんなはずはない、いつもどおりに家をでました、と母は答えたが、胸騒ぎがするのを抑えられなかった。というのも、少し前から、父はときどき方向感覚がおかしくなって、目的地にたどり着けないことがあったからである。
それじたいボケの兆候といえるのだが、道に迷ったくらいでは、認知症なのか健全な老化なのかは判断がつきかねる。どちらにしても困りものだが、年も年なので、母も放置していたのだった。それでなくても、父は自分の間違いを母に指摘されると猛烈に腹を立てるので、うっかりしたことは言えないということもあったようだ。
またかと思いながらも、携帯電話を絶対に持ち歩かない父なので、母には連絡のしようがなく、そのうちに到着したという知らせが来るだろうと思ってほったらかしにしておいたという。多少方向感覚がおかしくなっているといっても、父には目的も会合の場所もわかっているし、いざとなったらタクシーでも拾って、最悪の場合には自宅まで乗って帰ってくればいいだけの話だ。以前にもそういうことが全くなかったわけではなかったので、特に心配もしなかった。
それが、二時過ぎになって、ふたたび電話がかかってきたのである。担当者は、父が会合に1時間以上遅刻してきたという。それでも無事目的地にたどり着いたのだから、そんなにおかしくなってしまったわけではなかったということである。母は、わざわざ連絡していただいてありがとうございました、とお礼を言って電話を切ろうとした。
ところが、相手はまだなにか話があるようで、電話を切ってくれないのだった。
「まだ、なにかございますの?」と母が聞くと、
「それで、たいへん申し訳ないんですが…」
「はい?」
「お迎えにきていただけないか、と思いまして」
「いえ、でも、たどりつけたんですから、帰りは別に問題ございませんでしょう?」
「ええ、それはそうなのですが…」
「なにかあったのでしょうか?」
「はい、実は、お帰りになっていただきたいと思うのですが、先生はお帰りならないとおっしゃるもので」
さすがの母も、父になにかおかしなことが起こっていることに気がついたが、それが何なのか見当もつかない。「会が終わったら帰るも何もないのではないんでしょうか?」
「いえ、あの、すぐにお帰りいただきたいと。ところが、自分は帰らないと、もうそれはたいへんな剣幕でして。それで申し訳ないのですが、奥様においでいただけないかと…」
母はとっさに、父が病気で倒れたのではないかと考えたという。だが、病気で息も絶え絶えになっているなら、帰るも何もないはずである。意識はあって、救急車を呼ぶほどのことではないが重大な病気ってなんだろう?
「主人がなにかしましたのでしょうか?」
「いえ、あの、その、まことに申し上げにくいんですが」と担当者は言って、一瞬ためらったようだったが、すぐに思い直して続けた。
「その、においが…。みなさまお食事されているので、えっと、その、あの、さすがに、他の方から苦情が出ておりまして。いっしょにいらっしゃるのは、えっと、その、あの…」
それで母はすぐになんのことか了解した。着替えのズボンとパンツを用意して、飛んで行き、なだめすかしてタクシーで連れ帰ったのだった。