それにしても、ほとんど英語が話せないわたしと妹を、一応形式としてはツアーだが、実際には行きと帰りの飛行機が決まっているだけで、それ以外は100%フリーのヨーロッパ旅行に行かせる気になったものだ。
というのも、両親と弟は、ロンドンを離れる前に、フランス、ドイツ、スイスなどをめぐる1週間ほどの小旅行を企画していたのに、ある事件でそれが頓挫したことを、母から何度も聞かされていたからだった。
ロンドンから真夜中にドーバー海峡をフェリーで渡った列車が、パリ北駅に着いたのは早朝だったという。パリ北駅(“Gare du Nord”)の駅舎は19世紀中頃の歴史的建造物で、ファサードには著名な彫刻家13人に依頼した23体の彫像が飾られている。初めてフランスに来た3人は、思わず立ち止まってファサードを見上げた。
と、どこからともなく、手に新聞紙を広げ持った女の子が寄ってきた。パリの観光名所にはかならずいるロマの子供たちである。瞬時に危険を察知した母は、「No! No!」と腕を振り回して追い払おうとしたが、父は暢気なもので、ほっとけばいいからといって、そのままじっとしていたという。たぶん、シャイで大声を上げない日本人は格好の標的だったのだろう。父は彼らの思うツボだった。
母が、なんとか追い払ったものの、後の祭りで、上着の内ポケットに入っていた列車の切符を盗られてしまったという。お金は母が持っていたので難を逃れた。パスポートは各自が首から肌着の内側に下げた布袋に入れてあり、これも無事だった。だが、盗難届を出しに警察に行っても、フランス語は全くできないので埒が明かず、日本領事館に行ってみたが、盗られたものが戻ることはない、とそっけなく言われた。
父は、たぶん恥ずかしさからであろう、もうすぐにロンドンに帰ると言って聞かず、母がやっとのことで説得して、最初の目的地だったバーゼルまで行って、そこからロンドン行きの夜行列車でまっすぐ帰ってきた。もちろん、パリはこりごりで、まったく観光はせず、「ルーブルさえ行けなかったの」と母はいまだにこぼすのである。
日本人はシャイだというだけでなく、子供にやさしいところも狙い目なのかもしれない。後年、ローマのコロッセオの前で、ロマの子供がポケットから財布を抜き取るのを目撃した。被害者の男性は瞬時に子供をつかまえた。身長が二メートル近くある大柄な白人で、子供にはまったくやさしくなかった。当たり前である。子供をつかみ上げると、道路にたたきつけるほどの勢いで振り回したので、近くにいた観光馬車の御者があわてて仲裁に入った。放っておけば本当にたたきつけたかもしれなかった。
わたしは、御者もグルかもしれないと一瞬考えたが、さすがにそれはないだろうと思いなおした。
それはともかく、半年も外国で暮らしているうちに、ある種の慣れが母にも生まれたことは事実だろう。特に、ロンドンの後に行ったのはカリフォルニア州のデイビスという、カリフォルニア大学の農学部があるところで、農学部にふさわしい(?)農場しかない小さな町で、のんびりと過ごしたという。
たくさんの日本の大学生が自由に旅行しているのを目にしたとも話していた記憶がある。そうしたいろいろなことも全部ひっくるめて、なんとかなるものだという実感が異国で暮らす母の中に生まれたのだろうことは想像に難くない。
たしかに、どうにかなるものではあるのだが。
いつまでたっても肝心のフェリーに乗らないじゃないかと読者は思っているかもしれないが、次回はいよいよフェリーに乗る、だろうと思う。
別に『センチメンタルジャーニー』を意識しているわけではありません。
※こちらの記事は、2021年3月1日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。