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『浄土三部経』

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小さい頃から本が好きで、本屋に行けば一日中でも時間がつぶせた。収入の大半が本に消えたといっても良いくらい大量に本を買った。といっても収入はたかがしれていたので、今にいたるまで大した蔵書はできなかった。

二十歳を過ぎてから、学校や勤めの関係でたびたび引っ越したが、そのたびに蔵書の大半は実家に送り返してそのまま放置された。それでも新しい住居はまたすぐに本で部屋が埋まった。その繰り返しだった。一度だけ大量にブックオフに売り払ったことがあり、全部で三万五千円ほどになった記憶がある。

父が亡くなった時、うちの寺は浄土宗なので、浄土三部経なるものが聖典として存在するのだが、その話を通夜だったか葬式だったかで(七年も前なのでもう忘れた)和尚さんがした。お寺の和尚さんは尼さんと結婚して夫婦でお寺をやっているので、もしかしたら奥さんの方だったかもしれない。というのは、和尚さんは高齢者向けの超やさしい説教の開発に余念がなく、毎年、お施餓鬼(8月4日)に行くたびに、斬新なお話を聞かせてくれるからだ(例を挙げられるといいのだが、あまりに斬新過ぎてすぐ忘れてしまうのである)。

父の葬儀の時も、和尚さんはそんな話をしたのではないだろうか(まったく覚えていない)。それに比べると、だんなに比べてまじめな性格の奥さんは、話も比較的ふつうの仏教説話であり、父が大学で教えていたことを知っていたらしく、妙に知的なご説教をちょうだいしたのだった。といってもそれも実はもうまったく覚えていないのだが、とにかくその話の中に、浄土三部経の話がでてきたのである。

家に帰ってきて、夕食を(たぶん)何十年ぶりかで母と兄弟三人がそろって食べながら、そのありがたいお説教の話になったとき、わたしはふと思い出して、岩波文庫の『浄土三部経』を二階の書庫から探し出してきた。探したといっても、買った時期は多分高校生か大学生の時、ということは、まだ一度も引っ越しをしていない頃のものだから、置いてある場所はほぼ決まっていた。

本棚のほぼ予想通りの場所にあったそれを取りだすと、予想していなかった大量のほこりが厚く積もっていた。当時はカバーをはずす習慣がなかったので書店の青いカバーがかかったままになっていた。青いカバーをはずすと、岩波文庫のパラフィン紙のカバーは変色してぼろぼろでいまにも崩れそうだった。あわてて青いカバーを戻して、ほこりを払い、持って下に降りたのだが、ここまでわたしが席を立ってからものの五分と経っていなかったはずである。

母が、「そんなものよく持ってるわね」と言うと、妹は、「持ってたことより、どこにあるか覚えてたことのほうが驚きよ」とあきれたように言って、話はそれきりでおしまいになった。だれも浄土教のありがたい教えには興味がないのだった。わたしもそうだった。そもそも、文庫は持っていたが、まったく読んだことがなかったし、未だに読んでいない。

それがちょうど7年前のことである。父の葬儀をきっかけに、毎週末実家に帰るようになったが、古い本棚に本格的に興味を持つようになるには、まだ数年の時間が必要であった。自分で集めたのだからある意味、当たり前なのだが、そこは忘れられた名作の宝庫だったのである。

※こちらの記事は、2020年7月6日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。

https://note.com/carenavi/n/na44f6add8e8b

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