土曜日の朝、少し遅めに起きて朝食に階下へ降りると、食卓の上に卵がなかった。
年が明けてから、母は、ゆで卵が面倒くさいと言い出して、耐熱カップに卵を割り入れて、レンジで1分間加熱する方式に変えていたが、ご存知のように、生卵はそのまま電子レンジで加熱すると爆発するのである。母は、毎日加熱時間を微妙に変えてなんとかうまくできないものかと工夫していたが、長ければ爆発するし、短いと黄身が生のままで残ってしまい、どうしてもうまくできなかった。
もともと、わたしが始発電車で出勤するのに合わせて、早起きして朝食を作るのが面倒になり、「卵はチンしたらいいんじゃない。そうしなさいよ」、と母が勝手に決めて始めたことだったが、本人は一、二度試して、けっこう気に入ったらしく、妹夫婦にもしきりに勧めたりしていたのだった。
だが、わたしは、あまりおいしいと感じられず、長く加熱しすぎると爆発するのがわずらわしくて(かなりきっちりラップしないと飛び散る)、わたしはあまり好きになれなかった。いっそ生卵のまま飲み込むほうがいいとすら思えたくらいだった。
母も同じように感じているのではないかと思ったが、母は自分から言い出した思い付きの失敗を認めたがらないタイプなのである。逆に他人(たとえばわたし)が言い出した思い付きは初めからバカにして失敗するのを待っている、けっこう嫌な性格であるのだった。
今回は、ゆで卵のために早く起きるのが嫌なことも手伝ってか、ひと月以上たってもレンジ卵に固執していた。わたしは、いっそ自分でゆで卵を作ろうか、それとも生卵のままで飲み込んでしまおうか、と考えたが、そんなことをすれば母の機嫌が悪くなるのは明白なので、せいぜい時間を短めにして、ずるずるの状態で(ばれないようにすばやく)食べるようにしていた。
だが、ついに母は卵を電子レンジでチンするのに飽きたようだった。そりゃそうだろう。毎日、10秒単位で長くしたり短くしたりするのだが、一向にうまくできるようにならないし、そもそも、レンジ卵はおいしくないのである。ゆで卵のほうがよっぽど簡単で美味しいのである。ただ電子レンジよりすこし時間がかかるというだけなのだ。
単に自分の思い付きに固執してひっこみがつかなくなっていただけであり、それはよくわかっていたから、どのタイミングで止めるのかと、多少いじわるな興味もあったのだが、その日は突然訪れた。まったく何の前触れもなく。
いつもなら座る前に卵を電子レンジに入れるので、(あれ? 卵がない)と思いながら食卓の前に立ち尽くしているわたしに、
母は、ぽつりと
「あたし、あれあまり好きじゃないから」と言い、
「どうする?」と聞くので、
わたしもゆで卵でいいと答えると、何も言わずに卵をゆで始めた。
それにしても、どうしてレンジ卵は、美味しいと思えないのだろうか。
ネットで調べてみると、電子レンジで作った目玉焼き(?)をおいしいと思えない人はけっこういるようである。もっとも、ゆで卵だって、目玉焼きだって、作り方があり、どんなものでもおいしく感じるわけではないから、たぶん電子レンジの使い方に問題があるのだろう、と思う。
ヤフー知恵袋の回答者に、「あなたは冷えた味噌汁をレンジでチンしたばあいと、鍋で再加熱した場合の味の違いが判るのですね」と皮肉を言われている質問者もいたが、どちらもやり方はたくさんあり、たとえば、鍋で再加熱すれば焦げ付くこともあるから、明らかに味の違いがでることがないとはいえない。
たとえばの話、ゆで卵もレンジ卵も卵の味という意味では同じに決まっているが、ゆで卵の殻を剝いたときのつるりとした白身の舌触りと、一口食べたときの黄身のトロリとした(あるいはゆで過ぎたらボソッとした)舌触りが、なんともいえず美味であるということはあるかもしれない。だから、殻がうまく向けずに白身が凸凹になってしまうと、なんだかまるで美味しい気がしなくなる。レンジ卵もそれと同じことではないか。
ちなみに、黄身に楊枝で穴をあけておけば爆発しなくなるらしいということは、今回ネットで検索して初めて知った。
追記:結局ゆで卵は二日続いただけで、今朝はまたレンジ卵に戻ってしまった。ゆで卵にしても、味は大して変わらないことに気づいたからだろう。実はわたしもそうなのだった。
だが、依然として母は盛大に爆発を続けており、
「次は炒り卵にしてみるわ」と宣言している。
明日が楽しみである。