久しぶりに、といっても週に1日はかならず行くのだが、職場に出勤するつもりでまだ暗いうちに家を出た。
電車は、いつも始発と決めている。かならず座れるし、まったく込まないので感染リスクも最小限に抑えられる。空は真っ暗だし、駅に人影はまばらだが、それでもドアひとつにつき2-3人ていどの人がホームにいる。始発電車に乗る人は決まっているので、いつでもほとんど同じ顔触れである。電車の座席も、曜日によっては8割近く埋まっているが、見慣れた顔ぶれが多い。
駅には10分ほど前に着くようにしており、いつものように、ホームで上りの始発を待っていると、向かいの下りホームで電車接近のベルが鳴った。下りの始発のほうが2分だけ早く、上りは下りが出発してしまった後からベルが鳴りだす。
それで、いつも下りの電車に乗り込む人を漫然と見送ってから、上り電車のベルを待つのだが、今日は、その下り電車がホームに入ってこなかった。ベルが鳴ってから電車が来るまでのタイミングは常に同じであるから、少しでも遅れればいつも同じ電車に乗っている人間はすぐに異変に気が付く。向かい側の上りホームにいるわたしは、下り電車が行ってからだと思っているので、気にも留めずにうつむいていたのだが、いつまでたっても接近のベルが止まないのでうるさく感じて顔をあげると、下りホームの人たちが電車の方角をみてざわついているのが見えた。
どうしたのかと思って見ると、線路の向こうのほうに電車のライトが光っているのが見えた。まだ夜明け前で電車自体は見えないが、駅から3つ目の踏切の向こうにあり、いつまでたっても近づいてくる気配がない。はじめは目の錯覚で徐行運転なのかと思ったが、さすがに10秒たっても20秒たっても変わらないので、停止しているのだとわかった。いつ止まったのかまったく気が付かなかったので、もしかしたらかなり遠くから徐行し始めていたのかもしれない。駅のベルと一番近くの踏切のカンコンカンコンいう音がうるさかったせいか、特に警笛を鳴らしたようにも、急停車したようにもみえず、ホームのだれもが何事かと戸惑い気味だった。
既に上りの始発電車も着ていい時間なのに、接近のベルもならないところをみると、そちらもどこかで停車しているのだろうと思った。なにかあって、全線が一斉に停止したのだろう。
数分以上たってやっと接近のベルが止まり、ホームにアナウンスが流れた。わたしがいる駅と上りのひとつ隣の駅の間で人身事故が起きたのだという。それってつまり、目の前でライトが光っているあの電車ということなのではないか、とわたしは思った。始発電車のこの時間帯に駅の間にそんなに何本も電車が走っているわけはない。
ホームにいたほかの人たちも同じように思ったのだろう。訳知り顔のおじさんが、いつも同じドアから乗る中年のおばさんに、警笛が聞こえなかったけどねえ、などと蘊蓄を傾けていた。彼によれば、踏切での飛び込みなら、電車がめいっぱい警笛を鳴らすから、駅にいても聞こえたはずだというのである。だが、警笛は聞こえなかった。別の電車なのか、暗くて運転手が警笛を鳴らす間もなかったのか、不明であった。上り電車は始発が駅に到着していないのだからありえない。やはりどう考えても、目の前に止まっている電車で人身事故が起きたということなのだった。
だが、まだ日の出前であり、少し距離もあるので、具体的になにが起きているのかは駅のホームからはまったくわからなかった。人身事故ということは、最低でも1時間は動かないだろうし、その事故現場の横を通る電車に乗らなければ職場には行けないのだから、復旧にはいちばん時間がかかるだろう、と思って家に帰ることにした。改札を出るときPASMOをリセットしてもらっていると、別の駅員さんがだれかに大声で「6時40分までは動きませーん」と叫んでいた。
実家に戻り、今日はテレワークに変更する旨、職場にメールした。出勤は明日にすることにした。
帰ってみると、こんな早朝だというのに、母がコーラスの練習をしていてうるさかった。だが、練習しているということは、明日のコーラスの練習には出かけるつもりがあるということだろう。結局、辞める辞めると騒いでいたが、また行くことになったというわけなのか。まあ、騒ぐことも含めて母の健康法のひとつなのだろうと思った。
母に事故のことを伝えると、「いやだねえ、あの踏切はなんかあるのかねえ」と言って、昔同じ踏切で近所の人が飛び込んだという話を始めた。わたしも小学生のとき、ということは50年以上前に同じ踏切での飛び込み事故を記憶していた。もしかしたら同じ事故のことだったのかもしれないが、まだ小学生だったわたしは数人の仲間と、怖いもの見たさに現場に近づき、鉄道関係の人に追い払われた記憶があった。
それ以来、長いことその踏切は渡らないようにしていたが、いつのまにか忘れてしまっていたことを思い出した。