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失われた旅行記を求めて II

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『放浪記』を読み終わってしまった。『放浪記』はわたしが考えていた作品とは似ても似つかないものだった。有名な国民的女優が、これででんぐり返しをするというので、ますます『風琴と魚の町』の娘の物語なのだと思い込んだのだったが、実際には主人公が自分の小説の新聞広告を見て喜びのあまりでんぐり返しをするという演出であって(原作にはなかったと思う)、子供が遊んでいたわけではないのであった。

そもそも、なんで『放浪記』などいまさら読もうと思ったのかといえば、本のタイトルに放浪記と付くものはけっこうあるが、その元祖が林芙美子の『放浪記』なのではないか、と思ったのである。『放浪記』はベストセラーになり林芙美子の名を一躍高めた作品であるから、とうぜん後続の作品は多少なりとも意識せざるを得なかったはずなので、とりあえずその原典を押えておかなければいけない、と考えたのであった。

だが、前回も書いたように、別になにかを勉強する必要などいまさらないのである。どうも、須賀敦子の文体や書かれている内容の多くが回想であることから、エッセイの参考になると考えたところまではよかったが、そこから須賀敦子→イタリア→旅行記と連想がかってに飛躍したからなのか、実際にフェリーや欧州を旅行したことの参考にしたいと思ったからなのか、自然にそちらの方に興味が向いていったのである。そこで止まっていればよかったのだが、『休戦』『放浪記』と、なんだが少しおかしな袋小路に迷い込んでしまったような気がする。

他にどんな放浪記があっただろうか、と改めて考えてみると、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』とジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』しか思いつかなかった。どちらも好きな作品で、何度か読み返してもいるが、言うまでもなくオーウェルの本の本当のタイトルは”Down and Out in Paris and London”で、放浪記とは全く関係がない。もっとも翻訳者が内容から『放浪記』を思い出したというのは大いにありそうなので、無関係ともいえない。あと思い出したのは、吉田類の酒場放浪記だがこれはTV番組である。ケーブルTVの番組欄にいつも出てくるので覚えてしまったが、お酒を飲む番組は好きではないので観たことはない。ただ、この番組名は明らかに『放浪記』を意識したものだろう。

アマゾンで検索すると、文学では他には檀一雄の『美食放浪記』くらいしかみつからないが、山下清画伯の『裸の大将放浪記』全4巻(TVではなくて本人の文集が実際に出ていたようだ)とか、文学以外であれば本当にいくらでも出てくる。もっとも、そうしたもののいったいどれだけが林芙美子を意識していたのかはかなり微妙な気もする。

だが、それより今の問題は、『放浪記』を読了してしまったということだった。次に何を読むかという問題がまた起きてしまったのだが、今回は少し事情が込み入っていた。というのも、「重要性の問題」のために、山のように旅行記の類を買い込んでしまっていたからである。しかもそれはまだ収まっていないのだった。今買わなければいつ買うのか、と誰かが背中を押し続けているのである。やれやれ。

失われた旅行記を求めて II|ながさごだいすけ|note

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