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ワインに飲まれた話

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3月上旬のある晩のこと。といっても、日付には特に意味はない。

わたしは、「はじめてのフェリー」の原稿を良い調子で書き進めていた。やっと、実際にフェリーに乗船するところまできて、少しばかり気分が上向いていた。

ところが、原稿を書きながらワインを飲んでいたせいだろうか、トイレに立ったが、酔いがひどく回ってきて足元がふらつく。用はなんとか足し終えて水を流したが、そこからがいけなかった。気が遠くなってその場から動けなくなった。

みると、トイレットペーパーが床にふっとんでいる。ぶつかったのだろうが、記憶にない。もとに戻して、さて外に、と思ったが、そこからまた記憶が飛んだ。

母の声が聞こえて、はっと目が覚めると、便器の蓋が閉まった状態で、便器を抱え込むように倒れていた。

もうまったく記憶がなく、立ち上がり、母の手を借りて階段に腰かけ、母がコップに水を入れてくれたのでそれを飲んだ。さすがにそれで目が覚めて、あとは心配する母をよそに、二階に上がった。

それ以後は特に問題はなかった。頭ははっきりしていたので、書きかけの原稿を中断して、今経験したばかりの顛末を覚えているうちに書き留めた。

飲みかけのワインを見たが、ボトル半分も空いていない。体調が悪いのは、胸やけがずっと継続していることから明らかだったが、まさかこれほど悪かったとは思ってもみなかった。

母は、すこし冷たくしてから休んだほうがいいと言っていたが、とりあえず寝ることにした。

翌朝、まだ暗いうちに、母が寝室に静かに入ってきた。すぐに目が覚めたがそのままじっとしていると、母は、わたしのほうをうかがっている。

いつまでたっても何も言わないので、

「なに?」とわたしが聞くと、

「ああ、よかった。生きてた」と母が胸をなでおろした。

何を言ってるんだ、と一瞬思ったが、さすがになにも言い返せなかった。もともと心配性な母ではあるが、この日ばかりは心配されるのも無理はなかった。

それからさらに一日たった。

鼻の付け根のメガネの左パッドが当たる部分が赤く擦れた跡になっていて、触ると骨に打撲傷のような痛みがあることに気づいた。長年メガネをかけていれば、自然に楕円形の跡が付くものだが、よく見ると跡の淵のところが少し切れて出血したようだ。

たぶん、おとといの晩にトイレで倒れた時に、どこかにぶつかったのだと思った。銀縁のフレームだったら壊れていたのではないだろうか。酔っていてセルロイドフレームの老眼鏡をしたままでトイレに立ったので、メガネは無事だった。それで、今朝まで気づかなかったというわけなのだろう。

メガネをどこかに強くぶつけつつ、トイレットペーパーを吹き飛ばし、いったいオレはどんな倒れ方をしたんだろう、と不安になったが、文字通り、なにも覚えていないのである。母は寝ていたのに、わたしが倒れた音を聞きつけて起きてきたわけだから、かなり派手に音を立てて倒れたはずであるのだが。

以来3カ月、アルコールは一滴も口にしていない。

ワインに飲まれた話|ながさごだいすけ|note

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