「カゾクを支える、カイゴを変える」
介護と親と向き合うサイト

酔っ払いの落し物

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

今朝、散歩から帰ってくると、母が妙にバタバタしている。みると、食卓の上には空っぽの皿が置いてあるだけで、朝食の支度がなにもできていなかった。いつもはわたしが戻ってくる時間を見計らって用意ができているのであきらかにおかしいのだが、おかしいのはそれだけではなかった。

みるからに狼狽した雰囲気の母を見て、寝坊したのかと思ったが、どうもそうではなさそうである。

「今日は朝から大掃除しちゃったから、まだなんにもできてないのよ」と母は言いながら果物の皮を剥いているが、なんだか手元があぶなっかしい。

聞けば、散歩に出かけようとしたとき、家の前の歩道に大量の吐瀉物があったので、それを片付けたのだという。近くに飲み屋があるせいで、そんなことは日常茶飯事だったのだが、そういえばコロナの影響か、しばらくみかけなかったな、と思いながら二階に上がりかけて、ふと気が付いた。

体調が悪いのに無理して飲んだ酔っ払いがコロナである確率は、たぶんわたしの住む町では歌舞伎町の千分の一もないとは思うが、ありえない話ではない。感染症患者の吐瀉物なんて、絶対触れてはならない、そもそも近寄ってすらいけないものなのではないか、と思ったのだった。

「まさか、素手で片付けたの?」

さすがに、母もとっさにコロナのことを考えたらしく、素手ではさわらなかったという。というか、ゲロを素手で触る人なんているわけもないが、ホウキやモップでチリ取りにかき集めたりはしなかったらしい。4回ほどバケツに水を汲んで流したのだ、と答えた。

「でも、ああ、コロナだ、コロナだ、なんでこんな目に会うの、と思って、あわててマスクもしないでやっちゃったし、ああ、もうコロナに罹ってたらどうしよう。2週間後だから×月×日ね、わかるのは」と母は言った。

たぶんもっと早くわかるんじゃないかな、感染していれば、とわたしは思ったがなにもいわずに黙って聞いていた。

昼食の時、思い出したように母が話し出した。

「今朝、それで大慌てで水流したでしょ。それから、払いたまえ清めたまえ、払いたまえ清めたまえ」と塩を振りかけるしぐさをしてみせて、「やってから、あれ、」と流しのキッチンハイターの大きな緑の容器を指さして、「あれかけたのよ」

つまり6%の次亜塩素酸溶液をそのまま振りかけたのだという。ちなみに、厚生労働省がコロナの消毒に推奨しているのは、0.05%の溶液である。

「そしたら、みてよ、これ」とスラックスの裾を見せた。

6%の次亜塩素酸の漂白力は半端ない。飛び散った飛沫で白い水玉模様がひざ下一面にできあがっていた。みるとTシャツの腹部にまで飛び火したようで、さすがに顔にはかからなかったようだが、危険なことこのうえない。

だいいち、注意してかけた次亜塩素酸がそこまで飛び散るくらいなのだから、はるかに大量にあったゲロ(の飛沫)に母が接触しなかった保証はどこにもないのだった。

結果は2週間後、乞うご期待、とか言っている場合じゃないかもしれない。はたして家の中でもマスクを着用するべきか、わたしはいま真剣に考え始めたところである。

※こちらの記事は、2020年7月27日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。

https://note.com/carenavi/n/n550ffa6cdd8c

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

ご相談はこちらから