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湯船を放置する

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今日はひさしぶりに朝から雨であるが、テレワーク日なので関係ない。朝食後に、コタツに入ってニュースを見ていたら、母が来て、「ちょっとこっちに来て」という。何かと思ってついて行くと、風呂場に行き、「見て」と浴槽を指さした。見ると湯船に水が張ったままである。昨日わたしが落とすのを忘れたのだ。

「入ったの?」と母が聞く。つまり、お湯を入れたままで、入るのを忘れたのではないか、というのである。

わたしは、母が一瞬何をいったのか理解できなかった。というのも、せっかちなわたしは、お湯が充分に入りきる前に入ってしまうからである。だから、もし風呂に入ること自体を忘れたら、お湯も出しっぱなしなままのはずだった。いくらなんでも、そこまで忘れたらかなり問題である。

だが、たぶん母はそんなせっかちな入り方はしないのだろうし、普通はそういうものだろうから、母がいったい何事かと心配になった理由も想像がついた。わたしがボケたと思ったのである。わたしもそのことに思い至ったが状況を説明するのは面倒だった。それで、

「もちろん入ったに決まってるじゃないか。栓を抜くのを忘れただけだよ」と答えると、母はちょっと疑うようにヒトの顔をじっと見てから、あきらめ顔で、

「だいすけも、歳をとったわね」と言った。

その言い方から、母がまだ、わたしが湯を張っただけで、そのまま風呂に入ること自体を忘れて放置してしまったのではないかと疑っていることがわかったが、ことさら言い訳すればかえってややこしいことになると思って黙っていた。きっと、母には身に覚えがあるのだろう、とも思ったが、そんなことを言って自ら墓穴を掘るつもりはなかった。

実のところ、湯船から上がりしなに栓を抜くのが習慣になっていて、ほとんど意識することもなくなっているから、逆にその瞬間、別のことに気を取られていると、栓を抜かずにそのまま風呂場を後にしてしまうことがある、というだけのことだった。実家でテレワークをするようになって、これで2度目である。疲れていたのかもしれない。それは否定できない。

最初のころは、気を使って、湯を落とした後にシャワーとブラシでざっと浴槽を洗い流していたから、こんな失敗をすることはありえなかった。だが、そのうち母がなにもいわなくなったので、湯を落とした後に洗い流すのは止めてしまったのである。母がきれいに洗っているからだろうが、わたしが次に入る時はいつもきれいなので気にならなかったからだ。出来の悪い息子を持った母親はいつまでも苦労するという良い見本である。

もちろん、自宅ではブラシで流さないなんてありえないことである。理由は言うまでもない。

湯船を放置する|ながさごだいすけ|note

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