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YouTubeなしでは生きられない

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一人暮らしの母は、女学校時代の同窓生とコーラスグループを作って週一回練習に電車に乗って少し離れた公民館に出かけている。グループは、元々は同窓生限定だったらしいが、平均年齢が年々あがるにつれて、それでは人数が足りなくなり、今では誰でも入会できるのだが、平均年齢が80を超えようかという全員が有名女学校出の集団には、たまに見学者があっても、だれも入会しないらしい。年々、動けなくなったり亡くなったりして一人抜け二人抜け、今ではとうとう十人を切るところまで減ってしまったが、それはまた別の話である。

母は、家ではコーラスの練習用にピアノ伴奏や自分たちのコーラスをカセットテープで録音したものを聴いている。だが、楽譜を見ただけでは歌うことができないので、わたしが使わなくなった初代 iPad に鍵盤アプリをインストールして使うようになった。ピアノは弾けないが指一本で楽譜をたどっていくくらいはできるのである。そのうち YouTube にいくらでも合唱の動画があることに気がつき、わたしがそれを簡単にみられるようにしてあげた結果、iPad は母の生活になくてはならぬものになった。

ところが、あるとき、初代 iPad では、YouTube が再生できなくなったのである。そのときは別のアプリを見つけてなんとかなったが、まただめになり、半年くらい放置していたが、しばらくぶりに使ってみるとまた動くようになっていた。理由はわからないが、初代 iPadなんてサポート対象外になって久しいマシンなので、なにかの拍子に動けば幸いというかんじで、使っていたが、ここにきてとうとうどうやっても動かなくなってしまった。

ネットで調べても、今度こそほんとうにダメっぽい。新しいマシンを買うことも考えたが、新品は結構高いのである。結局、わたしが毎日通勤で使っていた iPad ミニを試しに使ってもらうことにした。わたし自身は携帯を二年前にスマホに変え、グーグルドキュメントなども使うようになって、以前のようには iPad ミニを使わなくなっていたからだ。

なくなったとたんに着想があとからあとからわいてスマホでは間に合わないという不安に駆られていたが、いざとなったら手帳やメモ用紙に書けば良いだけの話であり、実際には、そんな状況が起こることはまったくなかった。筆不精な人間にありがちな杞憂に過ぎなかったのである。

結果的には、それで良かったようで、母はよろこんで使っているし、わたしはわたしで文章もスマホで書くようになった。さすがに iPad ミニのようなスピードでは打てないし、ペンで書くよりもかなり遅いが、それでもメモ代わりにはなっている。いままでも、電車や喫茶店でまともな文章が書けたためしはなく、メモだけだったので、これで十分である。

最初母は、2万円くらいならすぐに出すから買ってこいと言っていたが、わたしがミニをわたすと、それで満足してしまい、急にお金を出すのが惜しくなったようだった。わたしとしては、ミニでも使えるかどうかを確認してもらうくらいの気持ちだったのだが、返せとは言い出せなくなってしまった。こちらは買おうと思えば新品が買えるのだし、そろそろ買い替えの時期だと思い続けて数年が過ぎていたこともあり、最終的にどうするかはまだ決めてはいないのだが、たぶんこのままで新しいタブレットは自分にも母用にも買うことはないような気がする。

でも、iPadミニになってから、母は以前のようにはコーラスの練習をしていない。土日にも朝早くからソプラノで大声を張り上げてわたしの安眠を妨害していたのだが、それがまったくなくなってしまった。週一回の練習は依然として続いているので辞めてしまったわけではないのだが、少し不安を感じないでもない。

※こちらの記事は、2020年2月10日にながさごだいすけ氏によって、note上にて公開されたエッセイになります。

https://note.com/carenavi/n/nd51297857d7d

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